TOP>コラム>コラム・岡山の事件簿>82.水島の異臭魚
『水島の異臭魚』
水質汚染と異臭魚
倉敷市の水島臨海工業地帯は多くの企業が拠点を置く工業地帯です。
臨海と名前にある通り、背後に海を持つ埋立地を含む場所に立地します。そのため、古くから海への汚染が問題になってきました。
水質汚染は周辺地域で井戸水が使用できなくなるなど古くから発生していましたが、表面化したのは1964~1965年の淡水魚の大量死がよく知られています。
1964年に上富井で、1965年には呼松、水島で大量死が確認されました。
しかし実はこの問題の前に「異臭魚」という問題が発生していました。
岡山県史によると水島沖で獲られた魚が臭いという噂が流れ始めたのは1961年頃からです。この為に地元漁師はせっかく漁獲した魚が市場で安く買い叩かれるようになっていました。
本格的に対応が求められるようになったのは1964年4月の陳情からでした。
同年1月に広島検疫所と岡山県衛生研究所が共同で水島の海洋汚染状況の調査結果を発表しており、水質汚染が進んでいる事が確認されています。この調査結果で異臭魚の原因が海洋汚染にあると確信して対策を求めて動き出したのでしょう。
異臭魚は文字通りひどい匂いがして食べられないほど…という状態の魚です。
環境問題で取り上げられる他の生物の事例のように、奇形のような見た目で分かる変化はなく、調理しようという段になって吐き気を催すような悪臭に気づくという非常に困った性質を持っています。
これは市場で魚をやり取りするようなプロでも見分けがつかず、結果として水島沖の漁師の魚は売買の対象にさえならない事態に陥りました。
原因と補償
岡山県の水産課が調査したところ、異臭魚の発生範囲は夏場に広まり、冬場は水島港の港奥部のごく一部に限られることが分かりました。
この事から原因は工場排水であることが判明します。
工場から海へ排出された水や漏れ出た油が港の奥に沈殿していきます。ここで冬眠している魚が汚染されて異臭魚になるのです。冬場に異臭魚が港奥部に限られるのはこの冬眠している魚だけが汚染されているからです。
暖かくなって来るとそれらの魚が活動を再開する為に広域で異臭魚が確認されるようになっていくのです。
漁業者への補償としては1966年に岡山県、倉敷市、企業、そして地元漁協によって「水島海域水産協会」を発足、翌年から異臭魚を時価の7割で買い取る対策を取りました。
1975年で買い取りは終了しましたが、県史によると1億2千9百万円が支払われたそうです。ただし途中で年度内の予算が尽きてしまうことなどもあり、実際に漁業者が被った被害はこれ以上の数字と推測されます。
写真:水島
写真提供:岡山県