TOP>コラム>コラム・岡山の事件簿>78.倉見大火
『電化の歓喜から一転した悲劇|津山市加茂町・倉見大火の記憶』
歓喜の上映会を襲った、フィルムの炎
美しく豊かな自然が広がる津山市加茂町倉見(旧・加茂町倉見)の集落。この地で、昭和の時代に「倉見大火」と呼ばれる、極めて凄惨な火災事故が発生したことをご存じでしょうか。
ページ冒頭に掲載しているのが、その受難者の為の慰霊碑です。
災害が起きたのは1953(昭和28)年の6月。死者18名、重軽傷者を合わせた負傷者は50名を超えるという、地域の歴史に深く刻まれた大惨事でした。
この未曾有の惨事の発端となったのは、皮肉にも地域の人々にとって「最高に喜ばしい出来事」であったはずの「映画の上映会」でした。
当時、山あいの倉見地区に待望の「電気」が開通。その電化を盛大に祝う記念事業として企画されたのが、移動映画の上映会だったのです。会場となったのは、当時の「津山市立加茂小学校倉見分校」の講堂です。
しかし、上映作業の最中に突如として可燃性の高かった古い映画フィルムから出火、引火。激しい炎は一瞬にして木造の講堂を包み込み、焼き尽くしてしまいました。
さらに被害を甚大にしたのは、講堂の本来の収容人数(キャパシティ)を大幅に超える、大勢の住民たちが狭い空間に密集して集まっていたことでした。初め て見る電気の光と映画のエンターテインメントに胸を躍らせていた子供たちやその家族が、暗闇の中で突然の火災に巻き込まれるという、あまりにも悲痛な状況 が重なってしまったのです。
(※当時の死者数などの詳細な数字については文献や資料によって若干の差異が見られますが、現地に今も佇む慰霊碑の碑文に『十八柱』と明確に刻まれているため、本記事では18名として記録します。)
分校の変遷と、解体へ向かう現在の姿
悲劇の翌年、学校は地域の人々の尽力によって同じ場所に建て直され、悲劇の舞台となった講堂のすぐ近くの敷地には、犠牲者を追悼するための立派な慰霊碑が築かれました。
その後、時代の移り変わりとともに1977年に倉見分校は閉鎖となり、本校である加茂小学校へと統合される歴史を歩みます。
主を失った木造の旧校舎は、一時期は地元の産業を支える「縫製工場」として再利用され、ミシンの音が響く時代もありましたが、それも時代の波とともに役目を終えました。

現在、現地に残る建物は著しい老朽化が進んでおり、一部は半壊状態の危険な姿を晒しています。津山市が策定した「公共施設再編基本計画」においても、安全性の観点からこの旧分校跡の建物を段階的に「取り壊す(解体する)」という方針が正式に決定されました。
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画像:慰霊碑、校舎跡の様子
最終更新日:2026.5.29





