TOP>コラム>コラム・岡山の事件簿>7.悲劇・四ツ塚様
『悲劇・四ツ塚様』
四人の志士
美作市土居地区に、四ツ塚様と呼ばれる顕彰碑があります。
この石碑には1865年に起きた悲しい出来事が秘められています。
四ツ塚様が顕彰しているのは4名の尊皇派の志士です。
彼らは同士を募るために各地を回っており、岡山を訪れていたのもその途中でのことでした。
しかし現在の美咲町百々(当時、百々村)でトラブルに巻き込まれます。
事件発生
同士を募り、金銭的なバックアップを依頼してきた4人に対し、ある商人が彼らの行動が、ただの金銭目的であると糾弾しました。
4人はその誤解に腹を立て、一触即発の雰囲気になってしまいました。
商人の家の者が金銭を渡す事で、和解して事無きを得たかのように思えました。
しかし商人本人は腹が収まらなかったのか、その金銭を渡した事実を曲解するように住民たちに伝え、4人の志士を強盗に仕立て上げたのです。
事件の経過
事態を誤解した住民たちは、志士たちを追い詰めていきました。
弁明も叶わず、執拗な追跡の末に、4人はやがて自害し、絶命しました。
気分が高揚していたのか、彼らを追っていた住民たちは、その死体にまで攻撃を加え、損壊させたそうです。
しかし自害する前に志士が残した遺書などから、4人が強盗などではないという事実が明らかになっていくと、逆に住民たちへの批判が起こります。
そこで4人への慰霊や、世間からの批判への対策として、顕彰碑を作りました。
それがやがて四ツ塚様と呼ばれるようになりました。
美作市土居地区に建てられたのは、そこが4人が自害した地だからです。
関連リンク
画像
『現在の事件現場周辺』

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