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岡山県町

『県庁舎新設に伴う騒動』

伊福町にあった岡山県庁


 現在の県庁舎が出来る前、岡山県の県庁は岡山市北区伊福町にありました。
 岡山工業高校の場所が所在地ですが、これは正式な県庁舎ではなく仮の庁舎です。
正式な県庁舎は同市天神町にありましたが、戦災で消失した為に伊福町に移っていたのです。

 なので戦後復興も落ち着いた頃に、きちんとした庁舎を建て直す事になります。

 移転先は何人かの専門家に意見を聞いた上で決められたそうで、現在地を提案したのは戦後日本の都市計画の大家である石川栄耀です。
 しかしこの移転は決してスムーズに進んだ訳ではありません。

揉めた内山下への移転


 まず仮庁舎とはいえ県庁舎がある伊福町や、その近くである奉還町などの地区では県庁舎の移転候補地に南方や北方の辺りを主張していたようです。
 恐らく県庁に近くに留まってほしかったのでしょう。

 では移転先の内山下は県庁が来るから万々歳だったのかというと、実はこちらも反対運動が起きていました。
 内山下の現在地の辺りは戦後にバラック住宅などが立ち並んでおり、県庁舎建設のために大規模な立ち退きが必要でした。
 ようやく生活が落ち着いて来た頃に立ち退きを迫られるのは、そこに住んでいる人には容認できなかったのでしょう。
 
 県は内山下の反対運動を収束させる事は出来ないまま、強制執行などを伴って立ち退きを進めていったそうです。
 その為に一通りの解決が叶ったのは竣工式から半年も後の事でした。

実は計画の一環だった月見橋


 県庁舎の建設に伴って完成した施設に、岡山城と後楽園を結ぶ月見橋があります。
月見橋
 岡山県庁舎が落成した際に岡山城で博覧会を行う計画は早くから立っており、その時に建造が決まりました。
 月見橋は一足先の1954年で、県庁舎は1957年に完成しました。
(関連リンク:賛否両論!? 月見橋



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関連リンク

画像:『岡山県庁』写真提供:岡山県
        『月見橋』写真撮影:岡山の街角から





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