『閑谷学校は城塞ですか❓』
岡山が城塞を作ろうとしている!
閑谷学校は岡山県が世界に誇る日本最古の庶民の為の学校です。
藩士の為の藩校は既にありましたが、庶民向けとなると最古で、地方の指導者となれる人材を育成する事を目的としました。
池田光政の業績の一つですが、この工事が始まった頃に隣の赤穂藩があれは学校と誤魔化して城塞を築こうとしているのだと言いふらしていたと伝えられています。
これは赤穂藩の誤解でそのように言われてしまった…とは言い切れない、閑谷学校に関する幾つかの要因があります。
城塞的なアレコレ
まず第一に赤穂藩との藩境に近い場所に築かれた点が挙げられます。
記録では池田家の墓所を作る為に案内された候補地の一つが教育の場に相応しいとと考えて学校の用地に選んだとされています。
しかし確かに決して狭くはない藩内で、岡山城からも遠い赤穂藩寄りの場所が選ばれたのは、赤穂藩としては気になる点だった筈です。
更に閑谷学校の作りにも城塞を思わせる箇所があります。
敷地を囲う頑丈な石塀は、作られてから300年以上も経過した現在でも崩れる事のない非常に強固な作りになっています。
取りようによっては、敵から攻められても耐えきれる強固な塀とも言えます。
また、普通は半円形に作られる泮池も、閑谷学校ではまるで城の堀を思わせるような長方形をしています。
これらの要素が重なり、学校を作ると偽って城塞を作ろうとしていたのではないかと考えられていたのです。
確かに隣の藩の近くに、強固な塀や堀を備えた建物が作られているとなれば、それは何かしらの意図がある要塞ではないかと思っても不思議ではありません。
その真相は…池田光政公のみぞ知る!?
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画像:『閑谷学校』
写真撮影:岡山の街角から
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