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地名の由来:露無山、姿見橋、轟池

地名の由来

 勝央町岡地区から中国自動車道の方を向くと見える山を露無山と呼びます。

 この山はかつては隠岐島へ配流される後醍醐天皇が露営した場所と伝えられています。
 その際に天皇のいた宿のみ露がかからなかった事から、露無山の地名が生まれました。

 後醍醐天皇が隠岐に向かうまでの道のりには、露無山のように様々な伝説と、それに由来する地名が残されています。

姿見橋、轟池

 現在は遺構らしき物は残されていませんが、周辺には後醍醐天皇に由来する姿見橋という橋と、轟池という池がありました。

 姿見橋は天皇が橋から水面を覗き見た際に、自らのやつれた姿を嘆いたという伝説が伝えられています。
 姿見橋という名前はその事に由来しています。
 前述の通り橋は失われており、橋があった辺りに石碑のみが残されています。

 そこから近い場所に轟池もありました。
 こちらもやはり自らの姿を映してみたというもので、その後の自分の行く末に心を痛めていると、天も天皇の気持ちに同調したのか雷鳴が起こったそうです。
 轟池という名前もその事に由来していますが、この池も埋め立てられて消滅しています。



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写真:姿見橋跡の石碑、背後が露無山
写真提供:Googleマップ

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