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地名の由来:首切峠
恐怖の地名・首切峠
真庭市の美甘トンネルの近くに、道路から逸れて続く細い道があります。
この先が『首切峠』です。
インパクトがある名前の為か標識などでは使われず、新しく出来たトンネルも首切峠の名前は採用せず、美甘トンネルになりました。
国道181号を北上して美甘方面へ進むと、美甘トンネルがある手前に右折できる道があり、この道へ入り、道なりへ進んだ先が首切峠ですが、現在は土砂の崩落で通行は困難な状態になっています。
(※首切峠を抜けた先も、国道181号へ接続します)
この首切峠には二つの由来が知られています。
地名の由来1.山中一揆説
まず一つは山中一揆に由来する説からご紹介します。
山中一揆とは1726年に美作地方で起こった一揆です。
この一揆では多数の農民が処刑され、他の農民へ対する牽制の意味も込めてさらし首にされました。
首切峠はそのさらし首が行われた場所の一つでした。
この事から首切峠と名付けられたと言う説です。
地名の由来2.合戦跡説
もう一つの説は、この地に城を構えていた三浦氏と、山陰の尼子氏の戦いに関係するというものです。
首切峠周辺は古戦場で、多くの人の命が失われたと言います。
その事実から、沢山の首が切られた地という意味を込めて、首切峠となったというのが、こちらの説です。
どちらが地名の由来なのかは判りませんが、後者の三浦氏と尼子氏の戦いの方が天文年間(16世紀半ばくらい)の出来事なので、歴史としては山中一揆よりも古い時期なので、より有力かもしれません。
この他にも刑場が置かれ、実際に罪人に対する斬首が行われていた事に由来するという説も存在します。
どの説を取るにしても、少し背筋の冷えるような由来ばかりです。
実は香川県にも首切峠があります。
こちらは戦に負けた武士の方々が自害した場所という意味だそうです。