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地名の由来:竹荘
地名の由来
吉備中央町竹荘は町の市街地の辺りの地名です。
読み方はタケショウです。
地名は平安末期から戦国時代にかけての荘園の名前に由来します。
タケは周辺に古くから存在する地名で、時代を遡ると多気(※読み方はそのままタケ)の漢字も用いられていました。
多気が竹に変化した経緯は不明ですが、南北朝時代~室町時代にかけて活躍した連歌師の梵灯庵の連歌論書である「梵灯庵袖下集」に竹荘に竹の里と呼ばれる名所があったという記録があります。
もしかするとその事が由来かもしれません。
竹荘の歴史
竹荘の地名を遡ると奈良時代の郷名として記録が残されています。
奈良の正倉院が所蔵する備中国の死亡帳である「備中国大税負死亡帳」で、多気郷についての記録があるのです。
この死亡帳はタイトルからも分かる通り大税(公出挙稲)を返済する前に亡くなった人の記録です。
多気郷にあった2つの里からそれぞれ1名ずつの記録があります。
