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地名の由来:邑久町尻海
地名の由来
瀬戸内市の邑久地域にある尻海という地名に は、神功皇后の伝説が関係していると言われてい ます。
同市内の牛窓も神功皇后の威光で牛の化け物がひっくり返った事に由来するとされています。
しかし、尻海に登場するのは厳密には神功皇后自身ではなく、彼女の愛馬です。
潮待ちの最中に牛窓半島の岬へ鏑矢を打つと言う余興を行いましたが、その際に海へ乗り入れるのに使われたのが白鷹という馬です。
この馬は船に戻るのに失敗して、そのまま入り江を泳いでいってしまいました。
『尻海』はこの白鷹が走っていくのがが目撃された場所です。
『お尻を見た』が転じて、尻海(しりみ)になったと言われています。
お婆さんのお尻説
尻海の地名の由来には、もう一つ別の説が伝えられています。
大人(=大きい人)の婆さんと呼ばれた女性の伝説に由来するという説です。
大人の婆さんは身長が3mもあろうかと言う非常に巨大な人間でした。
普段の移動も山から山へと跳躍できるほどの身体能力を持っていました。
ある時、その跳躍力で小豆島へ行ってみようと思い立ち、岬から思い切り地面を蹴り上げて跳躍していきました。
しかしその拍子に着物がめくれて、お尻が丸見えになってしまいました。
大人の婆さんもやはり女性。それを慌てて直そうとした為にバランスを崩し、そのまま海に落ちて沈んで行ってしまったそうです。
この時、お婆さんのお尻が見えた場所が、尻海の地名になったともされています。
