地名の由来
建部町宮地を歩く
建部町宮地は旭川の西川に広がる田畑が広がる土地です。地区の北側には学校やスーパーやドラッグストアが立ち並び、人の流れという点では建部町の新たな中心として賑わいを算出しているエリアです。
しかし地区の南側に行くと古くからの建部町らしい、田畑とその持ち主であろう農家の家々が立ち並ぶ昔ながらの「田舎の風景」が広がります。
神社が地名に恋をした?|建部町宮地・「名付け」の変遷
岡山市北区建部町宮地の地名は、地区内にある宮地神社に由来します。
しかし神社の名前が地名になった訳ではありません。
宮道神社は1869年まで幡神社と呼ばれていました。地名の宮地は同地区が幡神社の社領だった事から付けられたものです。後に神社の方が地名に合わせて宮地神社へ改称されました。
神社から地名が生まれ、地名に合わせる為に神社が改名する。なかなか面白い成り立ちだと思いませんか?
元々は建部町の大字でしたが、岡山市と合併する際に旧町名を冠した建部町宮地に改称されました。
社領とは?
地名のルーツとなった「社領(寺の場合は寺領)」についても触れておきましょう。
かつての神社は、与えられた領地を運営し、そこから得られる収益を社殿の維持や祭事の費用に充てていました。神社が「地主」として地域を支えていた時代の名残です。
しかし、この仕組みは時代の流れと共に縮小。最終的には、戦後のGHQ(進駐軍)による「農地改革」によって解体され、完全に過去のものとなりました。
「宮地」という二文字を眺めると、土地と神社が互いに影響し合いながら歩んできた長い年月が感じられます。
今はもう「社領」としての経済的な繋がりはありませんが、地名という形で神社の記憶を留め続ける住民の方々の姿こそが、現代における新しい「神領」の形なのかもしれません。




