岡山市中区に広がる「門田屋敷(かどたやしき)」。この地名は、かつて静かな農村だった地域が、岡山藩の歴史とともに大きく姿を変えていった物語を秘めています。なぜ「屋敷」という名が付いたのでしょうか?その由来を紐解いていきましょう。
門田の地名が意味するもの
まず「門田屋敷」の「門田(かどた)」という部分についてです。これは特定の個人の名前ではありません。この一帯がかつて「門田村」という農村だったことに由来します。
この「門田」の地名は、近くにある玉井宮東照宮(たまいぐうとうしょうぐう)の門前に広がる田園地帯であったことから、「門前の田」という意味で自然に生まれたとされています。つまり、かつては神社の門前に広がる、のどかな田園風景が特徴の土地だったのです。
現在の多くの車が行き来する風景からは想像できませんね。
農村から武家屋敷へ:門田屋敷の誕生
のどかな農村だった門田の風景が変わり始めたのは、江戸時代に岡山藩主として池田光政がこの地を訪れてからのことでした。藩の統治体制が確立される中で、この土地に武家屋敷や侍屋敷が次々と建てられることになったのです。
そのため、元々住んでいた農家の人々は移転を余儀なくされ、代わりに多くの武士たちの住宅が立ち並ぶようになりました。こうして「門田」という田園地帯に「武士の屋敷」が密集する一帯が形成され、それがそのまま「門田屋敷」という地名として定着しました。
つまり、門田屋敷は、神社の門前の田んぼが、時の藩主によって武士たちの住まいへと変えられた、歴史の転換点を示す地名なのです。
岡山市中区の門田屋敷は、単なる地名ではなく、かつて農村だった場所が、藩主の意向により武士の居住地へと変化していった歴史の証です。玉井宮東照宮と合わせてこの地域を訪れると、地名に秘められた歴史の深さをより感じられるでしょう。
門田屋敷を散策する際は、かつての田園風景と、そこに暮らした武士たちの姿に思いを馳せてみてはいかがでしょうか?




