地名の由来:百間川の秘密
岡山市中区から東区を流れ、最終的に児島湾へと注ぐ百間川(ひゃっけんがわ)。そのユニークな名称は、かつて「二の荒手(にのあらて)」と呼ばれた場所(現在の中島竹田橋付近)において、川と堤防を合わせた長さが約100間(けん)だったことに由来すると言われています。
一間が約1.8mなので、百間は180mに相当します。
また、岡山市出身の著名な作家、内田百閒(うちだひゃっけん)氏のペンネームも、この百間川から名付けられたものです。(※内田百閒の「閒」の字は「門」の中に「月」です。読む環境によっては文字化けしているかもしれません、ご了承ください)
人工河川・百間川の誕生秘話
百間川は、自然に形成された川ではなく、江戸時代に岡山藩によって作られた大規模な人工河川です。
江戸時代初期、岡山藩は度重なる旭川の氾濫に悩まされていました。
豊臣秀吉の提案により、現在の場所に岡山城が築かれましたが、その立地から城の防備が手薄になるという問題がありました。
そこで、苦肉の策として旭川の流れを変え、城の堀の代わりとする大規模な工事が行われました。しかし、この工事が裏目に出てしまい、水害が頻繁に発生するようになりました。
この深刻な状況を打開するため、藩は革新的な解決策を考案します。
それが、旭川から溢れた水を直接海へ流すための放水路の建設でした。この放水路こそが、現在も岡山の治水に貢献している百間川なのです。百間川は、単なる川ではなく、人々の知恵と努力の結晶として生まれた、歴史ある人工河川なのです。

-岡山の地名一覧へ戻る-
関連リンク
写真:水門工事の様子



