藤田の地名の由来と歴史
岡山市南区藤田は工場や田畑が広がる地域です。
かつては海だったのが、児島湾の干拓で出来た地域です。
地名の由来も児島湾の干拓に関連しています。
周辺一帯の干拓工事を請負い、実際に主導して行った藤田組並びにその創始者である藤田伝三郎さんの名前から取ったのです。
児島湾の一角をごっそり淡水化するという大事業でしたが、資金面の問題から国も着手できずにいました。
それを成功している実業家とは言えど個人である藤田さんが行ったのですから、地元の方々の感謝の念がその名を地名として留まらせたのでしょう。
地元のお祭りにもその名前が伝えられています。
和歌から取られた地名達
藤田地区内には都、錦といった地区が存在します。
地区の名前の他にも、交差点やバス停などにも使用されている地名です。
これらは古今和歌集に出てくる素性法師の和歌、『見渡せば 柳桜を こきまぜて みやこぞ春の 錦なりける』から来ています。
余談ですが、柳と桜も樋門の名称として用いられています。
なかなかおしゃれな由来ですね。