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地名の由来:四十瀬
地名の由来
倉敷市に四十瀬という地名があります。
周辺はかつては海域で、旧東高梁川の河口付近に位置していました。
徐々に高梁川が運んできた土砂による堆積作用で、河瀬(瀬、川が浅くなっている場所)が増えてきました。
四十瀬はそこから、河瀬がたくさん(=四十)あると いう意味で付けられました。
天正年間に宇喜多秀家が干拓した際に、四十瀬村として誕生しました。
現在の東富井、西富井の地区は四十瀬瀬の周辺を更に干拓して出来た土地なので、当初は四十瀬新田と呼ばれていました。
東高梁川
前述の東高梁川は、現在は存在しない川です。
高梁川はかつて東西に分岐しており、東側へ分岐した川を東高梁川、西側へ分岐した川を西高梁川と呼んでいました。
しかし洪水被害が続いていた為に、回収の為の大規模な工事が行われました。
その際に高梁川は西高梁川一本に集約され、東高梁川は廃川となりました。
そして残された西高梁川が現在の高梁川です。
(関連リンク:東高梁川)