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糸崎八幡神社

地名の由来:芳井町西三原、東三原

地名の由来

 井原市芳井町の市街地から北西に向かった山間のエリアに、芳井町西三原と東三原という対になった地名が存在します。
 ここは文禄年間まではそれぞれ西川手、東川手という地名でした。
 二つの地名が改称した理由については二つの説が知られています。

 まず一つは西川手、東川手が高屋城の領地となり、その際に広島県の三原から糸崎八幡宮を勧請してきたので、三原の地名を頂いて西三原、東三原としたという説です。
 新たな氏神様に対して畏敬の念、ご利益を願う思いからの改称でしょうか。
 この時に創建された神社が西三原の糸崎八幡神社です。

 もう一つの説は岡山県神社庁の糸崎八幡神社のページに掲載されているので、引用していきます。

”本神社は寛正2年備後国納所村桜山城主三原豊後守が落人となり、三原三郎と称した。三原三郎はこの地を西川手村と名付け、糸崎に神社を創建し、氏神とした。”

(引用:岡山県神社庁「糸崎八幡神社」)

 この説によると落人となった三原豊後守が新たな拠点として西川手を選び、自らの名前を冠したという事になります。そして東川手も領地としたのか、それとも対になる地名が変わったので東川手も三原に改称する事にしたのか…して、現在の形になったのでしょう。

 どちらにせよ糸崎八幡神社が地名に関わっている事は間違いないようです。

糸崎八幡神社

 糸崎八幡神社は三原渡拍子という岡山県の無形文化財に指定される神事で知られています。
 渡拍子は吉備高原一帯で古くから伝わる神事です。芳井町西三原の糸崎八幡神社と東三原の中山天神社にて、毎年11月の第2土曜日とその翌日に開催される秋祭りで行われます。

 この神事は鎌倉・室町時代の闘鶏楽が変化していったものと考えられています。
 特徴的な内容としては男たちが尾長鶏の羽根で作られた「赤熊(しゃぐま)」をかぶり、太鼓を打ちながら跳ね踊る姿が挙げられます。このため、「跳ね踊り」や「羽根踊り」の別名もあります。



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関連リンク

写真:糸崎八幡神社の渡拍子
写真提供:岡山県

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