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地名の由来:真備町服部
地名の由来
倉敷市の玉島地域と真備町地域の境界の辺りに真備町服部という地区があります。
地名の服部は"呉織"(くれはとり)に由来すると伝えられています。
呉織は中国の呉から日本に訪れた渡来人で、綾織の技術を日本にもたらしました。
この呉織が住んだ土地である事が地名の由来になっています。
元は単に服部の地名でしたが、倉敷市と真備町が合併する際に旧町名を冠して真備町服部に解消しました。
玉島服部
玉島服部から北上して旧真備町の区域に入ると、"真備町服部"という同じ地名が続きます。
2つの服部は昔は穂井田村の中の1つの地区でした。
しかし周辺町村との合併が行われた際に、穂井田村の北部は真備町、南部は玉島市と合併する事になりました。
この時に服部地区が2つに分けられ、真備町の服部地区、玉島市の服部地区になりました。
そして後に倉敷市と合併する際に旧地名を冠して真備町服部、玉島服部となって現在に至っています。