TOP>備中県民局エリアの地名の由来>新見市上熊谷、下熊谷
地名の由来:上熊谷、下熊谷
地名の由来
新見市上熊谷、下熊谷の地名は熊谷四郎という武将に 由来します。
熊谷四郎は源平合戦の藤戸の戦いの主要人物の一人です。
船を持たなかった源氏へ対し、海を挟んで平 行盛は挑発行為をしていました。
それに怒った佐々木盛綱は秘密裏に入手した浅瀬のルートを用いて馬に乗ったまま海を渡り、平氏に奇襲を仕掛けます。
熊谷四郎はその際に佐々木盛綱と共に海を渡った人物です。
そこでの戦功を認められた熊谷四郎は、現在の新見市周辺の地頭に任命されました。
つまり地頭の名前から熊谷という地名が採られたのです。
後に熊谷が2つに別れ、現在のように上下の熊谷になりました。
源平合戦と地名
合戦の舞台となった藤戸には源平合戦に由来する地名が多く残されています。
佐々木盛綱が鞭を地に挿したのが木になった鞭木。
軍事上の秘密を知っているが故に殺された地元住民、通称・浦の男の腸が流れ着いたとされる腸川。
その母の恨みの地、笹無山な どです。
佐々木盛綱自身も盛綱橋という橋に名前が残されています。

-戻る-
関連リンク
写真:上熊谷の風景
写真提供:Googleマップ