【津山事件】都井睦夫に子供はいたのか?|噂の裏に隠された三つの説と真相の闇

凶行の裏に遺された、血脈をめぐる噂の真相
都井睦夫に子供はいたのか?
津山事件の犯人として知られる「都井睦夫」。
21歳で事件を起こし、自害しました。学校を出た後から結核にかかり、仕事らしい仕事はせず、よく言えば療養生活、悪く言えばニートのような暮らしをしていました。
その為、その生涯の中で結婚をする事はありませんでした。
と言っても結婚が比較的早かった当時でも、男性の初婚年齢は二十代半ば以降なので都井睦夫が特別に遅かったわけではありません・
なので子供はいなかった…と見るのが通例です。
事件の公式資料「津山事件報告書」の中でも、実施の存在については全く書かれていません。
しかし事件後、都井睦夫には子供がいたとする説がまことしやかにささやかれていたのです。
説1:思い人との子供
まず一つ目の説として「寺井ゆり子」の仮名で知られる幼馴染の女性との間に子供をもうけていたとする説です。
この女性との関係については諸説あり、概ね都井睦夫が結核に罹患するまでは良好な関係だったと見られています。それが友達以上恋人未満なのか、ステディなのかは分かりませんが、
特に都井睦夫の中ではそれなりに親密な関係だったと見られます。
これはそうした噂から派生した説と見られます。
ただしこの女性の第一子誕生は事件からずっと後の事で、時系列的に彼女が都井睦夫の子供の母親である可能性はなさそうです。
説2:京都へ逃げた女
都井睦夫の恨みを買いつつ、難を逃れた女性がいます。
「寺井マツ子」の仮名で知られる女性です。
この女性は5月に起きる事件直前の3~4月ごろまでに貝尾を離れ、事件に巻き込まれずに済みました。
彼女の存在は前述の津山事件報告書にも登場します。
それによると自身の胸の治療の為に通院に都合のいい都市部に行きたかった事と、ちょうど夫が京都からの仕事に誘われたタイミングが重なった為に、子供の新学期が始まる4月に間に合わせる形で京都に移ったとされます。
このタイミングの良さから都井睦夫から事前に事件を起こすことを知らされており、逃げたのではないかという噂が生じました。
ただ貝尾にある彼女の実家が襲撃され、多くの死者を出すことになります。事件を知っているのであれば、実家にも何かしらの警告…、例えば戸締りを擦るであるとか、そういった呼びかけはなされたはずですし、この事自体は俗説と考えていいのではないかと思います。
ただ都井睦夫に恨まれていた女性が神回避と言ってもいいタイミングで難を逃れた事から、その女性の子供が実は都井睦夫の子で、自分の子を守る為に避難させたのではないかという見られ方もしたようです。
ただ個人的にはこの意見には懐疑的です。
自分の子供で、その子も、その子を養育すべき親も殺害出来ないなら、わざわざ計画を漏らして逃がすのではなく、襲撃しなければいいだけです。
説3:集落内にいた
これは津山事件の説としては余り上げられることはありませんでしたが、夜這いが横行する集落ではありがちな出来事です。
現在のように避妊方法が発達していなかった時代、夜這いを重ねれば妊娠のリスクは決して低くありませんでした。
都井睦夫の相手の中には既婚者も含まれます。となると、その家の子供として育てられた誰かの中に都井睦夫の子供がいた可能性が皆無とは言えません。
ただそのような事を追える手段があるわけでもなく、事実は闇の中です。
ところで余談ですが、都井睦夫に関係させられたと述べた女性の証言で、極端な早漏で真面な行為ではなかったとするものがあります。
この証言については死人に口なし…といった部分が疑われるので信頼性には懐疑的であるべきですが、これが事実であったとするなら、この説もあり得ず、結局都井睦夫に子供はいなかったというのが結論になるのかもしれません。
公式の記録と冷厳な時系列、そして当時の人間模様を一つずつ紐解いていくと、都井睦夫に子供がいたとする説は、いずれも後付けの噂や都市伝説の域を出ないものばかりであることが見えてきます。
惨劇の記憶とともに、血の繋がりすらも闇の向こうへと消え去った事件。歴史の暗部に残されたこうした細かな疑問符を一つずつ検証していく作業こそが、過去を直視するための大切なアプローチなのだと感じさせられます。
この記事を読んだ方はこんな記事も読んでいます
岡山生まれ、在住歴=人生。興味がある場所は歩いて見に行く「まち歩き」実践者。 郷土史だけでなく、地域グルメの歴史や廃線跡などの隠れた観光スポットを特に深掘りして発信。現在から過去まで網羅する岡山の情報サイト。 サイト開始:2002年~。25年以上の運営実績。












