【津山】都井睦夫の通学路|3.3kmの距離が物語る、少年時代の日常と断絶

3.3kmの日常|都井少年の歩んだ道のり
先日、石川 清さんの追悼記事を書いた後、久しぶりに著書の「津山三十人殺し 七十六年目の真実」に目を通していました。
その時にふと目に止まったのが、犯人の都井睦夫が通っていた小学校の場所です。
そういえばどこに通っていたのか、深く考えたことがありませんでした。
睦夫の生家のあった加茂町倉見には分校がありましたが、貝尾は加茂町の中心部から近いこともあって分校はありませんでした。なので加茂町の市街地寄りのどこかへ通っていたと考えられます。では、前述の著書からその部分を引用します。
尋常小学校は西加茂村の中心部の一角、中原という場所にあった。現在は廃校となっており、レストランと宿泊施設となっている(引用:津山産十人殺し 七十六年目の真実/石川 清)
西加茂村の中原は現在の津山市加茂町中原です。
そこで宿泊施設とレストランを条件に検索をかけてみると…、
(画像引用:一般社団法人津山市整備公社公式サイト(https://www.t-seibi.jp/works/uddiy.html)
ウッディハウス加茂という施設がヒットしました。
宿泊とレストランがあります。建物は津山市が保有しており、指定管理者による運営が行われています。
小学校などの建物があった場所は、そのまま自治体が保有し続けることが多いので、条件的にも合致します。
Googleマップで見てみましょう。
場所的に加茂町の中心部に近く、学校の所在地としては自然な感じですね。
現在は少し離れた場所に加茂小学校があります。
では貝尾にあった都井睦夫の家からの距離を調べてみましょう。
Googleマップの徒歩移動での検索になります。当時と現在で道が異なる可能性がありますのでご了承下さい。

3.3km、時間にして約40分くらいと出てきました。
まだ子供だった事を考えると、一時間弱くらいが現実的な時間と思ったほうが良さそうです。
津山事件報告書には欠席が多かった記録がありますが、確かにこれだけの距離があれば、体調が悪いなら休ませようと思うのも、それほど不自然ではないように思います。
睦夫一家が倉見を離れて最初に住むようになったのが加茂町のまさに中心部である加茂町塔頭です。
どの辺りに居を構えていたのかは不明ですが、そこなら距離は1km以内と好立地です。睦夫の通学だけを考えれば、そこにとどまるのが最良だったということになります。
睦夫の祖母が教育熱心だったかどうかは多少の議論がありますが、単純に距離的なことだけを見ると、それほど教育熱心ではなかった…、少なくとも通学の距離をさほど考慮しない程度には。という結論になります。
ただ徒歩移動が当たり前だった時代です。
たとえ子供だからと言っても3キロちょっとの距離に対する感覚というのは現在と大きく異なる可能性は考慮すべきかもしれません。
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岡山生まれ、在住歴=人生。興味がある場所は歩いて見に行く「まち歩き」実践者。 郷土史だけでなく、地域グルメの歴史や廃線跡などの隠れた観光スポットを特に深掘りして発信。現在から過去まで網羅する岡山の情報サイト。 サイト開始:2002年~。25年以上の運営実績。












