【岡山の記憶】老舗葬儀社「トモエ葬祭」の終焉|多角経営の失敗と、代表者が抱いた「葬儀屋」という宿命

終わりの季節|老舗葬儀社・トモエ葬祭の光と影
消えたあの老舗企業
現在、岡山県内には幾つもの葬儀屋のチェーンが進出しています。
地場企業で言えば古くからある「いのうえ」や、「冠婚葬祭こころの会」、「さくら祭典」といった企業もありますし、全国展開をしている企業なら「セレマ」や、最近になって増えてきた「ファミーユ」など、非常に多くの企業が乱立します。
その一方で個人経営のような小さな葬儀屋が徐々に淘汰されるようになってきました。
葬儀屋としては団塊の世代が平均寿命を迎え始めるこれからが最盛期となりますが、逆に葬儀の規模は縮小傾向にあり、きちんと葬儀を出す少ないパイを奪い合うような様相になりつつあります。
そんな中で岡山県内でも老舗中の老舗、トモエ葬祭がついにその幕を閉じました。
岡山市の老舗葬儀屋ですが、自宅葬が主流の時代においては県内全域をカバーするような大手でした。
それがどうして…と思う人もいるとも思います。
今回は元葬儀業界で働いていた私が知る範囲でその終焉を語ってみようと思います。
失敗した多角経営
2000年代に入ってから、岡山県でも葬儀を自宅ではなく会館を利用してする時代が到来しました。
今、県内で大手として知られる会社の多くが、この時期にうまいタイミングとうまい立地に会館を作ることで一気に事業規模を拡大しました。
しかし、この時期にトモエ葬祭はあまり積極的な展開を見せていません。
主となる式場は岡山市南区新保にあるメモリアルガーデン、倉敷市の市街地にあるメモリアルガーデン倉敷で、そこから特に主戦力となりうるような式場展開をしていません。
逆にこの時に出店したのは結婚式場も備えるフランス料理店でした。更に法要などの利用を目指して建てられたセレモニーレストラン・白桜記もありました。
これらの経営の多角化に失敗し、トモエ葬祭は経営不振に陥っていきました。
なぜ、葬儀会館ではなかったのか
業界内ではトモエ葬祭が他の企業と同じく会館の展開に乗っかっていれば、今でも大手の一角に残れたのではないか、少なくとも会社を畳むような事態に陥ることはなかったのではないか…、そんな声も少なくありませんでした。
では、なぜ葬儀会館を展開しなかったのでしょうか?
フランス料理店やレストランを建てられたことから、会社に出店の余力がなかったわけではないのは明らかです。
実はトモエ葬祭の当時の代表者が葬儀屋嫌いだったそうです。
これは今の感覚で考えると分かりづらいかもしれませんが、ずっと昔は葬儀屋というのはやや蔑視されるような部分もある仕事でした。そんな葬儀屋の息子として育った事から、嫌な思いをすることもあったそうです。
なので葬儀会館を展開するのではなく、レストランなどを展開することで周囲を見返したい…、そんな気持ちもあったのかもしれません。
なぜ私がこのような事を知っているのかというと、これは別に隠し話しなどではなく、公言されていたことで、業界的にはみんな知ってることだからです。
しかし葬儀においてはエキスパートの会社でも、畑違いのことはそう簡単に行くこともなく、結局どれも大した利益を生むこともなく消えていきました。
最初はそれでもネームバリューで葬儀から利益を出していましたが、徐々に会館が増えてくるとより近い会館、立地のいい会館へと客が流れていき、最終的な銀行の支援を受けながら細々と経営を続けるのが精一杯といった状況に陥りました。
そして、終焉。
最後の数年間はトモエ葬祭の黄金期を支えた従業員らは一人も残っていなかったそうです。
ちなみに彼らは葬儀屋としては優秀で、会館葬が全盛を迎えていた時代、成長を続ける会社の上層部には必ずと言っていいほど元トモエ葬祭の従業員が名前を連ねていました。
代表者の苦い経験は同情する部分もありますが、自分の気持を優先しすぎたのでしょうか。ビッグネームの訃報に、寂しい思いを抱いたのでした。
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岡山生まれ、在住歴=人生。興味がある場所は歩いて見に行く「まち歩き」実践者。 郷土史だけでなく、地域グルメの歴史や廃線跡などの隠れた観光スポットを特に深掘りして発信。現在から過去まで網羅する岡山の情報サイト。 サイト開始:2002年~。25年以上の運営実績。












