【津山】加茂町倉見分校|大火の記憶を刻む、静かなる崩落の時

終わりの時を待つ校舎|倉見分校の記録
先日、サイトの方の1953年に発生した倉見大火の記事に写真を追加するために津山市加茂町倉見を訪れました。
目的は慰霊碑なのですが、実は火災の舞台となった加茂小学校倉見分校の建物は現在も残されています。
火災で焼失した後に建て直された校舎で、1977年に分校が廃止になった後も残されています。

ご覧の通り、かなり状態は悪く、残っているという言い方が相応しいかどうかも疑わしいところです。
近くに土が守られているのは、一時期この場所に土が運び込まれていた為です。廃墟愛好家の界隈では、ついに取り壊し工事が始まるのではないかと言われていました。
しかし結局のところ、土が守られただけで現在に至っています。
津山市の作成した「津山市公共施設再編基本計画(案)」では取り壊しの方針が決められています。
もう状態的に改修は不可能ですし、周辺の人口的に建て替えて再び分校を稼働させるような必要もないので、取り壊し自体は妥当な判断です。
しかし、このままでは人が取り壊す前に自然が先に手を下してしまいそうです。
今回はそろそろその日も近いであろうことを考え、建物の外から内部の様子を伺ってきました。
先程の写真で建物が意外と残っているように感じた人もいるかもしれません。
しかし、実際のところ外壁のみが倒れずにかろうじて残っているだけです。
近くに行けば床は腐り、天井も既に失われている様子が分かります。
ここからは私の目いっぱいに伸ばした腕と、自撮り棒で内部の様子をお届けします。

これが教室の様子です。
分校にはこのようなサイズの部屋がいくつかありますが、状態は概ね同じです。
壁の崩れ方が若干異なる程度です。
先に内部には入らないということを書きましたが、無断の侵入云々も重要ですが、何よりこんな床に足を踏み出した日には確実に踏み抜いてしまいます。
たとえ津山市がどうぞ、お入りくださいと許可を出してきたとしても、私としては御免被ります。

黒板には状態がまだ良かった頃の校舎に侵入したと思われる不届き者の落書きが残されています。
校舎は廃校後に一時期、縫製工場として転用されていた時期があるので、こうした落書きはその用途が終わった後のことでしょう。
ちなみに別の部屋では平成13年という日付を記した落書きもあります。
そのときの侵入者がどうやらチョークを持ち込んだようなので、四半世紀くらい前には立ち入れるような状態だったのでしょう。
でも、いつの時代にも向こう見ずな人はいるものです。
このような状態でも入り込もうとする人もいるかもしれません。そういうリスクを考えると、自然に荒れるままに…なんて悠長なことは言わず、早々に建物の撤去を検討してほしいと思います。
この記事を読んだ方はこんな記事も読んでいます
岡山生まれ、在住歴=人生。興味がある場所は歩いて見に行く「まち歩き」実践者。 郷土史だけでなく、地域グルメの歴史や廃線跡などの隠れた観光スポットを特に深掘りして発信。現在から過去まで網羅する岡山の情報サイト。 サイト開始:2002年~。25年以上の運営実績。













