【倉敷】本荘八幡宮|荘園の総鎮守に刻まれた、室町初期の石鳥居という「至宝」

荘園の総鎮守として|本荘八幡宮の歴史を歩く
少し前の話題になりますが、倉敷市児島通生にある本荘八幡宮にお参りしてきました。
別で紹介している通仙園に行く際に、その手前にある神社です。
鳥居の手前を左折する道があり、そこから神社や通仙園に車でアクセス可能です。
ただし道が細いので、運転が不安な方は通生港に駐車可能スペースがあるので、そちらから歩いた方が無難です。

という事で今回は歩きで向かいます。
なかなかりっぱな鳥居です。特に額が大きいですね。
港町や農業が盛んな地域では信心深い人が多く、玉垣とか鳥居とか、社殿とか…、神社としての規模のわりにお金がかかっているところが少なくありません。
海に仕事に出る人々にとって、最後に心のよりどころとなるのは神なのでしょう。

参道はこんな感じ。
途中で先ほど紹介した車道とクロスするので、ここだけ通行注意です。
石段も少なからずあるので、足が悪い方は注意が必要です。
これは車で訪れても同様です。

そして見えてくるのがこの拝殿です。
正直、ここまでの参道がちょっと鬱蒼とした雰囲気があったので、社殿についてもそうなのかな?と少し諦めていたのですが、境内は非常に整えられた美しい状態です。
山の中にこれだけ美しい神社があるのは感動です。
木も整えて選定されています。
この神社の歴史について岡山県神社庁のページを交えて紹介します。
当社は大宝元年(701)に豊前国宇佐宮から勧請されたと伝えられ、古くから通生庄12か村の総鎮守として信仰を集めてました。
本荘、新庄というのは荘園由来の地名で、元からあったのが本荘、新しく後から出来た荘園が新庄となります。ちなみに鷲羽山ハイランドの方に「新庄八幡宮」があります。
延暦23年(804)には坂上田村麻呂による賊徒平定の報賽として神封150戸が寄進されたと伝えられます。
室町時代には石鳥居が奉納され、祭礼日に市が開かれるようになり、流鏑馬も行われて近郷から多くの参拝者や商人が集まったそうです。
現在の通生の家々は、この時期から門前町として形成されてきたものでしょう。
戦国時代には常山城主三村高徳の崇敬を受けたが、天正3年(1575)の戦火により社殿や神宮寺が焼失。しかし、ほどなく再建されました。
江戸時代には下津井城主池田長政や歴代岡山藩主から社領の寄進を受けました。

拝殿~幣殿~本殿の様子です。
本殿の規模もかなり大きいです。
建築年は資料に見当たりませんでしたが、これらの社殿は文化財指定を受けていないようなので、新しい時代の再建でしょうか。
そしてこの神社で最も注目すべきものはこちらです。

本殿の後ろ側に設置されている、やや小ぶりな鳥居。
これが本荘八幡宮で最も歴史的な形のある建造物です。
この鳥居には「応永廿八年(1421)十一月吉日」と、建造年が記されており、室町時代初期の物であることが分かります。
年代の古い石鳥居は貴重で、更に建造年が判明している物は少ない事から、国の重要文化財に指定されています。
この場所に鳥居があるのも鳥居の保護の為で、元々は参道の三の鳥居でした。
神社巡りをする人ても、割と本殿の裏というのは見落としがちです。
忘れないように見学していきましょう。
児島の急峻な地形の中で、700年以上もの間、人々の生活と信仰を静かに結びつけてきた本荘八幡宮。
社殿の美しさはもちろんのこと、その奥に潜む室町の石鳥居に触れるとき、この街が歩んできた時間の厚みに圧倒されます。
港町の潮風を感じながら、歴史の断片を辿る――。そんな静かな時間を過ごしに、ぜひ一度足を運んでみてください。
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岡山生まれ、在住歴=人生。興味がある場所は歩いて見に行く「まち歩き」実践者。 郷土史だけでなく、地域グルメの歴史や廃線跡などの隠れた観光スポットを特に深掘りして発信。現在から過去まで網羅する岡山の情報サイト。 サイト開始:2002年~。25年以上の運営実績。












