【津山】加茂町・都井家墓地に残る謎|津山事件の加害者・都井睦夫の「墓石」はどちらか

倉見の山間に眠る、途切れた血の記憶|都井家墓地を歩く
先日、倉見大火の記事の為に津山市加茂町倉見を訪れました。
ピンときた人もいるかもしれませんが、この地は津山事件で知られる都井睦夫が生まれ育った土地です。
幼い頃に祖父、両親を相次いで肺病で亡くした事から家督相続の問題が勃発しました。
まだ年端もいかない子供である事や、肺病が続く家筋である事を懸念され、本来の第一位の相続者である睦夫は対象から外され、この倉見を離れることになりました。
…と、詳しい事はサイトの記事の方をご覧ください。
事件後、犯人である睦夫と、三十人の被害者の内の一人となった祖母の遺体は、この倉見の地に移動されました。
そして都井家の墓地に埋葬されることになりました。

こちらがその墓地です。
墓守をしていた親族の女性が管理できなくなってからは草木の侵食を懸念する声も聴かれていましたが、最近になって墓地が奇麗に整備され直されました。
今は倉見を離れていている都井宗家が整備したのでしょう。都市部では墓の整備どころか墓じまいばかりが話題になっているようなご時世ですが、この地にはまだお墓という文化が大切に残されているようです。

階段を上がって左側が睦夫らの墓がある場所で、右側が宗家の方の墓になっているようです。
睦夫が亡くなり、姉が結婚で嫁いだことで途絶えてしまった左手側は余り整備もされておらず、笹が目立っています。

実は草刈りの道具が現地に設置されています。
睦夫らの為に墓を整備してやろうという人の有志で設置されているのでしょうが、恐らく利用するのは睦夫の墓を取材する為に訪れた、私のような人物でしょう。
ただ多言語で書かれている事には驚きました。
津山事件…というより、日本の大量殺人犯として海外でも注目を集めているのかもしれません。
名前(実名、戒名)が見えてしまうので、写真から墓石が分かりづらいようにしています。
手前から睦夫の祖父、そして事件で殺害された祖母の夫婦墓、女性名の墓、都井睦夫の両親の夫婦墓…と続きます。
祖父母と両親の間にあるの女性名の墓は祖父の最初の妻でしょうか。都井睦夫の育ての親となった祖母は後妻であった事が判明しています。前妻の離婚の理由が死別だったのであれば、そのまま都井家として葬った筈なので、この墓の正体がそれと考えられますが…。
閑話休題。
この並びなので両親の墓の隣が都井睦夫の墓というのが自然な流れです。
そこにはこんな風景が広がっていまいた。

小さな石があり、その前に申し訳程度に花立や香炉といった仏具が置いてあります。
順序的にこれが都井睦夫の墓と判断する人は多いようで、この辺りに缶コーヒーなども備えてありました。
それにしても小さい。
都井睦夫の墓は世間の注目を集めてしまう事を懸念した義兄(姉の夫)の判断で、きちんとした墓石を用意することはせず、河原で拾った石を代用にしたと言われています。

倉見地区の人が住んでいる一帯は、それに沿うように川が流れています。
もちろん当時から比べるといくらか整備されて姿を変えている可能性はありますが、これだけ様々な石があります。
その中からあの石を選ぶのか…?という疑問もあります。
そしてもう一つ。

並びは親族の順序から外れていますが、実はこのような石があります。
これは津山事件に関する本なども出版していて、界隈で有名な方の本で墓石として紹介されている石と同じものと思われます。
公式な資料があるわけではなく、都井家の方も地元を離れている現状、どちらが正しいのかを確認する術はありませんが、これくらいなら墓石の代用として…というのはありうるのかとも思います。
ただ、そうなると両親の横にあるあの小さな石の墓は何なのか?という疑問が生じます。
都井睦夫の姉は事件後も結婚生活を続けており、都井家の墓地で、しかもあのような小さな石を墓石で埋葬されるような事はあり得ません。順序を考えると、やはりあれが都井睦夫の墓であるべきだと感じられます。
さてさて、どちらが本物の墓石なのか。
謎の多い津山事件の周辺の地においても、また新たな謎に遭遇してしまうのでした。
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岡山生まれ、在住歴=人生。興味がある場所は歩いて見に行く「まち歩き」実践者。 郷土史だけでなく、地域グルメの歴史や廃線跡などの隠れた観光スポットを特に深掘りして発信。現在から過去まで網羅する岡山の情報サイト。 サイト開始:2002年~。25年以上の運営実績。













