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【検証】津山事件・味噌汁毒殺未遂の正体。都井睦夫の「不器用な善意」が生んだ最悪の誤解

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祖母の味噌汁に入れたものの正体

津山事件の有名なエピソードの中で、犯人の都井睦夫が祖母の味噌汁に何かを混入させたという出来事があります。
この時期には祖母は睦夫の言動に対して不信感を抱いており、孫に殺されると騒ぎにしてしまった事から、警察の家宅捜索を受けることになります。
そしてせっかく集めていた銃器類を没収される…という流れになります。

この時、都井睦夫は味噌汁に入れようとしていたものは「わかもと」だったと述べています。

「わかもと」は、わかもと製薬が現在も販売している胃腸薬の名称です。
販売が始まったのは1929年で、若さの素の意味で「若素(わかもと)」という栄養剤としてスタートしました。
1931年には現在まで続く「わかもと」の表記に変更しています。
栄養状態の悪い昭和初期における、貴重な滋養強壮剤として人気を博しました。

参考:わかもと製薬公式サイト「わかもとの歴史

味噌汁に入れる意味とは?

なので都井睦夫が祖母の健康の為にわかもとを味噌汁に入れた…というのは、自然な事だったのでしょうか?
これは素直にそうだとは言い切れません。
今も昔も薬は白湯や水で飲むのが一般的でした。粒状ならば味噌汁に混ぜて溶かすのも容易ですが、そのような形で摂取するというのは不自然な行動です。その行動を目撃した祖母が毒を盛られたと思ったのも仕方ない事でしょう。

この出来事が起きたのが1938年の事です。わかもとの発売から既に10年近くが経過しており、正体不明の怪しい新薬などではなく、滋養強壮の定番商品になっていました。
体調の為に「わかもと」を買ってきたよ…と伝えれば、祖母孝行な孫だという話で終わっていた筈です。

この時の可能性としてはいくつか考えられます。

  • 本当はわかもと以外の物を入れていた
  • リハーサルだった
  • 伝えずに飲ませようとしていた

ざっとこのような感じでしょうか。

一番上は本当に毒殺を狙っていたのか、もしくは毒とまでは言わなくとも健康に悪いものを摂取させることで徐々に弱らせ、式を早めようと目論んでいた。
当時の平均寿命は乳幼児の死亡率が高い為に非常に低くなっていますが、成人した女性の平均寿命は60~70歳くらいだったと考えられています。
年齢的には祖母はそろそろ亡くなってもおかしくはない年齢で、体を害するものを摂取させることで自然死のように亡くなるように仕向けることも可能だと考えたのではないでしょうか。

二番目は本当に何か害する目的で味噌汁に入れる方法を思い立ち、練習としてわかもとで試したところ、即座に見露見してしまったのかもしれません。
いきなり本番にするよりは、睦夫の性格にも合っているように思います。

最後は本当に健康の為…というものです。
当時のわかもとは滋養強壮の為の摂取するものです。なので肺結核を患っていた睦夫も摂取していたのでしょう。
実際に貝尾集落中を走り回って三十人もの住民を殺害するという大恐慌を引き起こしたので、事件発生前の時点で体調はかなり回復していたものと思われます。
その中でわかもとの効果が高いと感じ、祖母にも摂取してほしいと思った…という、純粋な善意からの動きだった可能性はあります。なぜ味噌汁に…?という思いはありますが、その辺りが不器用だったり、独善的な部分だったという見方も出来ます。…まぁ、事件決行の際に真っ先に殺害してしまうのですけれど。

感想―味噌汁に入ったのは、何だったのか

真相というのは、もはや誰にも分かりません。
ただ家宅捜索を受けて、そこで毒薬の類が出てきた記録がない事、そして本人がわかもとだったと発言している事だけが分かっている事です。

ただ個人的には、知能の高い都井睦夫という人物が、そんなバレやすそうで、かつ疑われるとしたら真っ先に同居する自分になるような事をするだろうか?と思います。
なのでやっぱりわかもとだったのはないでしょうか。

ただ、それを相手にきちんと伝えて、「そんなに効き目があるなら、じゃぁ私も飲んでみようか」という返事を貰わずに動き回った事。
この辺りは都井睦夫という人物のコミュニケーションの下手さだったのではないかと思います。肺病の事や徴兵検査の事など、様々な事情が生じるので一概には言えませんが、肉体関係を結んだ女性らとさえ悉く関係が悪化したことなど、うまく立ち回れないタイプだった事を思わせます。

そういう不器用な部分が災いしたとしても、その味噌汁に入っていたのは親代わりに自分を育ててくれた祖母への感謝の気持ち、元気でいてほしいという願いだった筈です。
それが殺されるという言葉で拒まれた事は、もしかすると事件勃発に少なからず影響を与えてしまったのかもしれませんね。




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岡山生まれ、在住歴=人生。興味がある場所は歩いて見に行く「まち歩き」実践者。 郷土史だけでなく、地域グルメの歴史や廃線跡などの隠れた観光スポットを特に深掘りして発信。現在から過去まで網羅する岡山の情報サイト。 サイト開始:2002年~。25年以上の運営実績。

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