【高梁】川面町に佇む「屋根注意」のお社|自然石の灯篭と水運の記憶

軒先をかすめる歴史|高梁市川面町・名もなきお宮の物語
高梁市の備中川面駅周辺を散策するに当たり、Googleマップで周辺で興味を惹くようなスポットがないか確認していたところ、高梁川沿いの住宅地の西端の辺りにお宮があるのを見つけました。
散策する方向からしてもちょうどいい場所だったので行ってきました。

こちらがそのお宮です。
最近の車だと通るだけでもヒヤヒヤしそうな場所です。
このお宮で気になったのは手前側にある灯篭です。
もう少しズームで見てみましょうか。

金という文字がありますが、ここのお宮が金刀比羅宮を勧請しているわけではありません。
こんぴら講(金刀比羅宮を信仰している人の集まり)で建てたものなのでしょう。
この灯篭で興味深いのは下の土台部分の石が自然石そのままのような形状である事です。
金の文字の作りからして、メチャクチャ古い時代の物というわけではあなさそうですが、こういう自然石が用いられているのは余り見ません。
恐らく山から灯篭になりそうな岩が出てきて、地元の人々が金刀比羅宮のご利益のお礼の気持ちを込めて金の文字を刻んだ灯篭を作ったといったところでしょう。
ここを眺めていると、ちょうど地元の人が畑のお世話をするのに出てこられて、色々とお話を聞くことが出来ました。
灯篭に関しては昔からあるから謂れは分からないとのことでした。その方はずっと見ているから自然石が凄いという事は考えた事は無かった、よその人はそんな事が気になるんだなぁと関心差sれていました。それよりも不安定そうに見えることの方が気になっていたそうです。
今は下の辺りをコンクリートで補強してありますが、それ以前でも地震や災害でも倒れる事は無くて意外と頑丈だったの…と、そのような話を聞かせてくれました。

そしてこちらのお宮についても色々とお話を聞かせてくれました。
まず道路ですが、昔は車も通れないような狭い道しかなかったそうです。
それを拡張して車が通れるようにするのに際し、このお宮の敷地の一部を道の用地として提供したそうです。
お宮の前の石の部分が「◁」のような形になっているのは、その工事の名残だそうです。
それでも道が出来たばかりの頃はまだ細かったそうで、お宮に車が当たる事も少なくなかったとか。
その為、このような看板が設置されました。

「屋根注意」です。
今は多少道幅が広がっており、お宮に車が当たるような事も無くなったそうです。
以前に玉野市宇野の昔ながらの住宅地を訪れた際にも屋根に気を付けるよう呼びかける掲示を見た事があります。
車の普及と道路の整備が同時進行で進んでいた時代の名残なのでしょう。

お社の中はこのような感じです。
どういうお宮だったのかは、地図上でも表記がなく、更にお話を聞いた地元の方もよく知らないとのことでした。
何の神様なのかではなく、地元にいらっしゃる神様だからお祀りする。そこには「神様が身近にいる暮らし」の確かな手触りがありました。
額には妙見大神が中心で、右側に産土大神、左側に御鋒大神とありました。
妙見大伸は妙見信仰、産土大神は地元の神様ですね。生まれた場所におられる神様で、たとえ引っ越してその土地を離れたとしても守り神であり続けてくれます。
そして最後の御鋒大神。これは恐らく高梁市高倉町の「御鋒神社」を勧請してきたものです。

新見市に向かう道沿いにそびえる細長い境内の神社です。
備中松山藩の水谷家の寄進を受けた神社です。ご利益としては航行安全がよく知られています。
今のように陸運が発達していなかった時代、船で物や人を運ぶ際の安全を祈願していたのですね。川面町も高梁川沿いで、かつては多くの人々が川で移動をしていた地区です。
その安全を願っていたのでしょう。
決して大きな建物ではありませんが、かつては地元の人たちが集まって夜通しお宮で過ごしたり、賑やかにしていたそうです。
もう最近じゃ集まる事も無くなったな、若い人も仕事で忙しいし…。
そんな事をぽつぽつとこぼされていました。
もう時代柄、日本人の宗教観を見てもそういう事が行われる事は無いかもしれません。
でも聞いた話はこうして記録され、次の世代に語り継いでいきます。このお宮にかつてあった賑やかな笑顔や、お宮スレスレをなんとか通って行った自動車の記憶と共に。
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岡山生まれ、在住歴=人生。興味がある場所は歩いて見に行く「まち歩き」実践者。 郷土史だけでなく、地域グルメの歴史や廃線跡などの隠れた観光スポットを特に深掘りして発信。現在から過去まで網羅する岡山の情報サイト。 サイト開始:2002年~。25年以上の運営実績。













