【玉野】消えた「一族の終着駅」|玉野三井病院跡地に見る時代の変わり目

2024年12月31日、玉野市の企業立病院・玉野三井病院は玉野市民病院と統合し、「たまの病院」として新たなスタートを切って閉鎖されました。
そしてその建物はしばらく残された後に、更地へとなりました。
その跡地を訪れてみると、随分と見晴らしがよくなっていました。

かつてはこの先にレトロな病院の建物がありました。
奥に見えるのが三井E&S(旧称・三井造船)、そして現在は三菱重工マリタイムシステムズも拠点としている造船所の建物です。
この造船所でケガをした人がすぐに治療を受けられるように整備されたのが、玉野三井病院でした。
時代は巡り、三井E&Sも造船から引いたことで企業立の病院を単体で抱える必要性も失われてきた居たのでしょうし、何より救急車の運行体制も病院が出来た当時とは比べ物にならないくらい発達しています。造船所のすぐ横に病院がなくとも、適切な治療を早々に受けられると体制は整っています。
尚、重ね重ねになりますが、決してなくなったわけではなく新病院に転じたものです。
私も新病院に何度か行ったことがありますが、施設も新しくて気持ちのいい場所です。
支払いも精算機など最新の技術が導入されていて便利ですが、ローテクの極みだった三井病院を懐かしく思う事もあります。

横から。
病院がある時はあまり意識した事がありませんで、こうして更地になってみると随分と巨大な病院だったのだなと思います。
私が見ている方に南病棟があり、長期療養型の入院施設になっていました。
ここで私に各地を歩き回る事の喜びを教えてくれた祖父、そして実母を見送りました。
私の家系は玉で商売をしてきており、ここで最期を迎えるというのが一族のルーティーンとなっていました。時代の流れで仕方ありませんが、自分の死に場所を無くしたような寂しい感覚があります。…と言っても、もう何十年か生きるつもりですが笑
跡地の利用方法については噂レベルでは聞こえてきています。
三井造船の施設が出来るとか、関連企業などの寮が出来るとか、とか…。
どちらにせよ、企業の有している土地なので今後は私たちが出入りするような場所ではなくなるのでしょう。
進みなれた信号の交差点の向こう側に、もう行くことがないんだなぁと。赤信号を眺めながらそんな事を考えました。
周辺では先日、別の記事で紹介したように百十四銀行の建物も取り壊されて更地になりました。
ここ数年、玉地区は失う事ばかりでした。しかしこれを機に、また新しい玉の風景が生まれることに期待しましょう。
この記事を読んだ方はこんな記事も読んでいます
岡山生まれ、在住歴=人生。興味がある場所は歩いて見に行く「まち歩き」実践者。 郷土史だけでなく、地域グルメの歴史や廃線跡などの隠れた観光スポットを特に深掘りして発信。現在から過去まで網羅する岡山の情報サイト。 サイト開始:2002年~。25年以上の運営実績。














