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【児島】落書きノートに眠る「森羅会」の正体|1979年、少年の記憶を追って

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ノートに刻まれた、1979年の「児島」|喫茶YES・落書きに残る森羅会を探して

このブログでは何度か創業当時、50年前から客が書き込み続けている落書きノートを持つカフェとして、倉敷市のYESを紹介してきました。
たまに落書きノートに残された興味深い書き込みを紹介してきましたが、以前にその中にある「森羅会」という謎のグループについて触れました。

なにかの集まりのようでしたが、詳細は分かりませんでした。
で、先日の訪問時に1979年の12月頃のノートを見ていると森羅会に関する記載が複数見つかりました。

 


このような感じです。
「森羅会のおねーさまがた」とあります。なので森羅会は多少の年齢層があるのでしょう。
そして書き込みを射ているのが「わしゃ(わしは)」なので、男女どちらもいる集まりのようです。

そして次のような書き込みもありました。


「森羅会のいも 理大付属校へこいや~」という書き込みありました。
この「いも」というのは、この時期にしきりにが落書きノートに書き込みをしている人物の事だと思います。

確証はありませんが、文字の癖などからしてこの人物でしょう。


桃双雨(ももぞう)」さんです。
ニックネームなのか、ペンネームなのか、それともチーム内での呼び名なのか。
さすがに本名ではなさそうですが…。

彼が理大付属高校への進学を進められているという事は、この時点で中学生です。

私は以前のブログでチーマーのような存在かと推測していましたが、恐らくそれに近いものだったのでしょう。
ただチーマーといえば高校生くらいの年齢のイメージがありましたが、高校進学前の桃双雨さんが森羅会に入っているという事は、児島の中学生~高校生の、やや幅広い年齢層だったようです。
だから先ほどの書き込みで「おねーさまがた」という表現が出てきたものと思われます。

ただ森羅会は余り長くは続かなかったようで、翌1980年の書き込みの中には久しぶりに森羅会が集合するという内容がありました。
当時の児島での進学先の事情がどのようなものだったのかは分かりませんが、桃双雨さんのように岡山市内の学校への進学をする人も少なからずいたとすると、徐々にメンバーも集まりづらく、関係も希薄になっていったはずです。
ということで、もしかするとこの時期にだけ見られるレアなチームだったのかもしれません。

桃双雨さんや、他の森羅会関係者の方で、当時の思い出話などあればぜひお聞かせください。




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岡山生まれ、在住歴=人生。興味がある場所は歩いて見に行く「まち歩き」実践者。 郷土史だけでなく、地域グルメの歴史や廃線跡などの隠れた観光スポットを特に深掘りして発信。現在から過去まで網羅する岡山の情報サイト。 サイト開始:2002年~。25年以上の運営実績。

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