10月22日に私が幼少期を過ごした玉野市の玉原地区を紹介しました。
その時は幼い頃の私の主な活動地を紹介しましたが、今回はたまに友だちと遊びに行く程度だった場所を紹介します。
スタート地点はここ。
玉野市長尾方面から玉原に降りてくる最初の交差点の場所です。
商店跡の外壁に書かれた「たばこ」の文字を見たことがある人も多いと思います。
ここは以前は以前は八百屋がありました。
商店名が玉吾とか、そんな感じだったと思うのですが…。
この場所ともう一箇所、前回紹介した玉原2丁目の辺りにも店舗を構えていました。
そちらの店舗は現在も営業する玉基屋の隣で、現在は新聞販売所になっています。
メルカが開業した際に店舗を移転。
現在の天満屋ショップ(店舗南入口付近)で営業していました。しかしメルカには同じく食料品を扱う天満屋系の食料品売場が入居しており、客橋は伸びずに短期間で閉鎖してしまいました。
その後のお店の足取りについては知らないのですが、見た感じでは既に営業していないというより使われなくなってから長い月日が流れていることを感じさせます。
ボランティアセンターがあり、限定オープンのカフェがあるようです。
興味がる人はチェックしてみてくださいね。
今回はこの奥に向かっていきます。
この辺りは戸建てタイプの市営住宅が立ち並びます。
現在は空き家が目立ちますが、私が幼い頃は殆ど入居していたのでこの辺りはかなり賑わっていた印象です。
右側が現在も残る建物です。
幼少期で記憶が曖昧ですが、確か左側も同じような住宅があったはずです。現在は一般の住宅が立ち並んでいます。
それぞれの建物の手前側にそれぞれ小さな小屋のようなものがあります。
人が住んでいない建物では木造、今でも住んでいる建物はコンクリート造に作り変えられています。
これはお風呂です。
壁の部分が崩れている建物があったので、隙間から中を見てみましょう。
お風呂を覗き見ると(笑)、浴槽があるのが分かるでしょうか。
雨水が溜まっています。
恐らく当初はお風呂はない建物だったのでしょう。
住宅設備を扱うLIXILの入浴文化の変遷という記事によると、一般家庭へ浴槽が普及するようになったのは高度経済成長期の頃です。
一般家庭と水準を合わせたのか、それとも内風呂の普及で銭湯が閉鎖するなどしたのかも知れません。
後から建物の庭の部分にお風呂を追加するような形になったのでしょう。
で、実はこの先は何もありません。(笑)
子供の頃はこの辺りの川に降りられるので、魚を捕まえたりして遊んでいました。
厳密には林道・迫間線という林道があります。
山の中を抜けていく林道で、玉野市の迫間方面と途中の分岐で長尾方面に抜けることが出来ます。
今は県道が整備されており、この道にも車止めが設置されていて自動車での通行はできません。恐らく山や電線の管理で立ち入るだけなのでしょう。
徒歩でいくことは可能ですが、普段はイノシシ除けの為に柵で封鎖されています。(※手で開閉可能、通行できます)
林道の様子については、こちらもまた別の記事で触れたいと思います。