サイトの方にご感想やリクエストのメールを頂いています。
いつも有り難く読ませて頂き、また参考にさせて頂いています。
なかなか筆不精でお返事が出来ていないのですが、それはどうぞご了承下さい。
その代わりでもありませんが、1つサイトの中で思っている事を書いてみようかと思います。
サイトをお褒めいただく際に「凄い郷土愛ですね」というようなお言葉をいただくことがあります。
このブログ記事のタイトルをご覧頂いているのでネタバレしてしまっていますが、実は「岡山の街角から」のサイト、ブログ、そしてSNSでも郷土愛というフレーズは殆ど使ったことがありません。
別にそれを否定するとか、岡山を愛していない!という訳ではありません。
しかし「岡山の街角から」というサイトは郷土愛から生まれたサイトではありません。
今日はちょっとそんなお話をしてみようかと思います。
岡山の街角からの基本コンセプトは電車の中で生まれました。
当時、個人でサイトを作っているのが流行っていて、私も何かを作ろうと思ってコンセプトを思い倦ねていました。
その時に思いついたのが郷土史です。
ではどうして郷土史なのか。
私は玉野市から岡山市まで電車で通学をしていました。
宇野駅から乗車するのでほぼ確実に座席を確保出来ます。
当時はまだ携帯電話のコンテンツがそれほど充実していなかったので、本を読んでいました。
最初は好きなホームズシリーズの翻訳者を変えながら読みふけったり、図書館を利用して色々な流行作家を読んでみたりと充実の時間を過ごしていました。
しかし小説だと読みやすすぎて、毎日の電車の往復約2時間で一冊を読み切ってしまいます。
玉野市の図書館の文芸書はそれほど充実した蔵書ではありませんし、大学生のお小遣いなので沢山の本を購入するのも楽ではありません。
そこでたまたま歴史の本を手に取りました。
これが意外と良かったのです。勉強の本は小説ほどの速さで読めないので一冊が2~3日は持つのでエコです。
しかも歴史関係の本なら図書館でかなり揃います。
なので大学生活の電車の往復2時間、週に10時間を歴史の勉強に充てて過ごすことになります。
そうなると歴史の専門家を志したいという気持が出てきますが、既に大学生なので入学し直す程の情熱はありません。
そこで私はちょっと舐めた事を思いつきました。
歴史の本を読む中で郷土史の本も幾らか読んでいたので、ジャンルを思い切って岡山に絞ればプロには及ばずともネット上でそこそこの事が出来るのではないか?と。
岡山の街角からはこうして生まれたサイトです。
その動機に郷土愛はありません。
後付で心地良い言葉を加えていくのも、なんとなくフェアでないような気がして…。
そんなこんなでサイト内で郷土史というフレーズは殆ど使っていません。
それが20年近く続いて今に至ります。
物事の動機というのは、恐らく周辺が思うよりシンプルだったりするのではないでしょうか。