随分と久し振りに玉野市~岡山市の常山城跡に行ってきました。
長らく車道が崩壊していて、復旧した道にも興味があったのですが…今回は徒歩を選びました。
常山駅から徒歩5分程度、山裾の辺りにこのような登山道があります。
この扉はイノシシ対策の為の物なので、立ち入りは自由です。
常山城への道は時間にして20~30分程度と短いものですが、道は観光地へ続くものとは思えないほど意外と本格的な登山道になっています。
登山用の装備というのは大げさかもしれませんが、靴くらいは動きやすいものにしておいた方が良いでしょう。
所々で進行方向がわからなくなる箇所があるので、その場合は赤色のビニールを巻いてある方向へ進んで下さい。
参道側で最初に見えてくる以降は底無し井戸です。
常山城の水の供給を担っていた大きな井戸です。
この建屋の中に大きな井戸が口を開いています。
この井戸のお陰で常山城が水に困ることはなかったと言われており、底無し井戸という名称もその事に由来します。
ご覧の通り現在でも豊かな水を湛えています。
以前に来られた方は、かなり傷んでいた建屋が綺麗に補修されていることに驚くのではないでしょうか。
以前はややおぞましい雰囲気すらあった場所です。
おぞましいと言えば、常山城跡の周辺は地蔵が多いことが知られています。
ミニ八十八ヵ所が整備されているのでそれだけでも88個ありますが…、それ以外にも地蔵がたくさんあります。
古戦場跡なので供養のために整備されたのかもしれません。
常山城は三村家と毛利家の争いで、三村家側最後の拠点として攻め落とされました。
いよいよ城が落とされんとする時、上野隆徳の妻である鶴姫は侍女を引き連れて敵軍へ攻め込んでいきました。
そして敵将に決戦を挑むも、相手から女性とは戦えないと断られます。
姫は城に戻ると自害をした…という、勇猛な女軍の伝説が知られています。
城の歴史はその後も江戸時代に入り、池田忠継の時代まで存続しています。
しかし城跡として専ら語られるのは上記の上野隆徳、鶴姫とその侍女の話題です。
なので城に上がるとまず最初に見えてくるのは上野隆徳の公徳碑です。
この功徳費のすぐ下にあるのが切腹をしたと伝えられる腹切岩です。
上野隆徳は一族の死を見届けて、この岩で切腹したとされています。
この周辺で石垣や土塁の跡を見る事が出来ますが、主な見どころはこの腹切岩と後述する女軍の墓でしょう。
それと常山城跡には展望台が整備されています。
かつては景勝地として観光に来る人も多かった場所です。
個人的には随分と寂れてしまったなという感想ですが…。
このようにしっかり残されています。
柱には昭和47年(1972年)の物と思われる落書きも。
展望台の強度は問題ないのか少し心配になりましたが、見た限りでは大きなひび割れなども有りませんでした。
恐らく定期的な補修はされているのでしょう。
見晴らしは非常に良いです。
手前側が玉野市の荘内~岡山市南区の旧灘崎町の区域です。
大きく広がっていくのが鴨川、その奥が児島湖です。
では続いて女軍の墓を見に行きましょう。
これが前述の鶴姫と、姫に従って敵軍へ奇襲を仕掛けた侍女らの墓と考えられています。
登山道から城に入った場合は、腹切岩などを通り過ぎて階段を下った先にあります。
他の箇所は草木が茂っている場所もありましたが、ここはよく管理されているのが分かります。
この場所には常に新鮮な花が供えてあります。
鶴姫や上野隆徳が城主としてどのように領地を管理していたのかに触れた資料というのは見たことが有りませんが、地元の方に愛されてきたのは間違いないようです。
余談ですが私がまだ学生だった頃、この花を供えに来る女性が幽霊と間違われたという話がありました。
常山には女軍の霊が出るという心霊話があったので、勘違いしたのかもしれませんね。
これで常山城跡はひと通り見てきました。
この時は時間があったので、帰りは車道を歩いて下山しました。
その途中にもう一つのスポットである千人岩や、道路の状態については別の記事で紹介しています。
もしよければそちらも御覧下さい。
関連リンク:常山城への車道を紹介するよ!