広島の原爆の第一報を東京へ届けたのは…?
毎年、夏になると様々な形で特集が組まれる広島と長崎へ対する原爆の投下。
戦争から長い年月が過ぎても、まだ人間と原子力の付き合い方は上手く定まらないようです。
ところで広島県に原爆が落とされた事の第一報を東京へ伝えたのは、実は岡山県だったそうです。
もちろんタイミング的に岡山県が原爆投下を確認できていたわけではないので、広島県が大規模な爆撃にあったという事実を伝えたという方が正確でしょうか。
ではどうしてそのようになったのかも調べてみました。
通信できたのが岡山県だった
原爆投下直後の広島県は電波状況が良くなかったのです。
なので広島県から直に東京まで通信が出来ませんでした。
そんな中でかろうじて繋がったのが岡山県です。
通信先はNHK岡山放送局、一報を送ったのは同盟通信社です。(※同盟通信社は戦後に解散、現在の時事通信社と共同通信社の前身)
そして岡山県から東京に第一報を送るという形になりました。
ちなみに当時の伝達した内容は「広島市が壊滅状態、死者は17万人」という内容でした。
死者数は現在判明している数字とは異なりますが、混乱状態の中でどうにか導き出した数字だったのでしょう。