倉敷市林の五流尊瀧院へ逝く途中で、五流報恩院に立ち寄ってきました。
五流尊瀧院と同じく「五流」の文字が入るのでアレっと思った方もおられるでしょう。
どちらも役小角の高弟5人がそれぞれ熊野神社周辺に創立した寺院です。
なので寺院はそもそも尊瀧院を中心に5つありました。
しかし尊瀧院を残して既に廃寺になっています。
五流報恩院も市の一つです。
跡地には場所を示す標示と、小さな祠が残されています。
他の廃寺になった五流の寺院の中では比較的いい状態で残されていますが、ここは報恩院跡の一角に過ぎません。
写真向かって左側は竹やぶ、右側は民家です。
どのように報恩院が広がっていたのかを推測するのは分かりませんでした。
ところでこの標示にある「卵塔婆」。
卵塔場と言えば卵型の石塔ですが、具体的に何を指しているのかは伝わっていないそうです。
祠の後ろに石が積み上げられていますが、これが元々は何かしらの建造物だったそうです。
卵塔場をそのままの意味で読み取るなら、この石が卵塔場の形だったのでしょうか。
場所は熊野神社側から向かう場合は、真浄院の山門から真っ直ぐ五流尊瀧院を目指して進みます。
そして尊瀧院の入り口の場所で、進行方向左側(坂を登る道)へ進みます。
そうすると見えてきます。