久し振りに玉野市宇野~築港まで歩いてきました。
田舎にありがちな話ですが、自動車の免許を取ると地元を歩くことが無くなりがちです。
今回はしっかりと歩いてきました。
核テナントはハピータウンで、ちょっとしたデパート風です。
僕が学生の頃はTSUTAYAなども無かったので、とりあえずメルカに集まる感じでした。
メルカのフードコートにでもいれば、誰か知ってる顔が来るだろうという。
田舎学生あるあるですね。
既存の飲食店がリニューアル時に設置を嫌がったなんて噂も聞いた事がありますが、学生の身分ではフードコートくらい格安じゃなきゃ飲食なんて出来ませんって。
画面中央に見える茶色いビルはお菓子のなかや宗義の本社です。
玉野はこれといった土産菓子はありませんが、なかやと喜久屋という人気のお菓子屋さんが二つあります。
どちらも美味しいのでお勧め。
そしてトマト銀行玉野支店。
元々は玉野市玉の玉橋の辺りにありましたが、移転して宇野に。
ずっと前の事ですが、宇野駅から伸びるこの通りを市街地として整備していくという計画があったような気がします。
…が、結局ただの噂だったのか、ロードサイドは特に栄える事もなく。
結局、お店が増えたのは市役所通りです。
と言っても、あの道は市民以外には用事がない道路なので…、フェリーや駅を利用するのに玉野市を訪れた方は「玉野とはなんと店がない所なのだ」と思われているかもしれません。
…実際、あんまりないですけど。
トマト銀行の奥に見えるのはコーダ。
昔ながらの服屋さんで、下着を購入するのにお世話になっています。
これはたまたま信号が変わったばかりという事もありますが、宇野~高松間の直行便が無くなってから幾分か減りましたね。
この写真を撮ったのが平日の17時頃ですから、タイミングとはいえ、駅前でこんな風景が見られてしまうのも寂しい事です。
フェリー乗り場。
四国フェリーが無くなって、トラックが減ったのが顕著です。
船での移動中は休憩時間に回せるという事もあり、トラックの利用者はそこそこいました。
それが無くなったので、フェリーの時間帯に押し寄せるトラック渋滞という風景が無くなりました。
走っていた頃は右折などがしづらくなるので面倒に思っていましたが、無くなれば寂しい物です。
わがままです。
まだ直島や豊島、小豆島と言った島々に移動する航路は現役です。
なので港は宇高航路が無くなる時に報じられたほど寂れてはいません。
右奥に見えるのが国道フェリーの乗り場です。
あちらは手つかずで、他にあの場所を利用していた会社もないので放置されたままです。
その手前に見えるのが浮桟橋。
離島で暮らしている方が利用する為の設備です。
いつかの台風で沈みかけましたが、今は復旧しています。
昔はアーケードがあって、築港銀座の名前が張り付けられていました。
今でもその呼び名が有効なのかどうかはよく判りません。
築港銀座の入り口の辺りに大判焼きの人気店がありましたが、代変わりしてから余り好調ではなくて廃業してしまいました。残念。
しかし取ってみると明るくて、個人的には良い感じになったと思います。
レトロな雰囲気も良いですが、開放感も良いですね。
ちなみにこの先に先ほど挙げた喜久屋があります。
ここのどら焼きは最高です。
瀬戸内国際芸術祭の影響で駅舎に幾何学模様が描かれています。
期間限定かと思いきや、もう何年もしているのでこのままいくのでしょう。
この辺りはスペイン村建設計画が立てられており、駅舎や写真に写っていない交番の建物などは南欧風のデザインになっています。
この計画は駅前だけではなく、市街地を広域に南欧風していく事を想定していました。
先ほど紹介したメルカもその影響を受けた一つで、リニューアルの際に色を変更して少し雰囲気が変わりましたが南欧風です。
便数は通勤・通学の時間帯以外は1時間に一本ペースで、日中は茶屋町から乗り換えです。
僕が学生の頃に利用者低迷で廃線になるという噂が流れていましたが、玉野はどちらかというとバスの便の方が良いのです。
前に広がるのは月極駐車場で、駅通勤をする人がここで車を停めていきます。
新型コロナウィルスの影響で自宅勤務の方がまだ多い時期だったので、若干の空きが見られました。
この駐車場の右手側が飲み屋街です。
営業しているお店は少なくなりましたが、夜はそれなりに賑やかになります。
こうしてみると駅前も賑やかになりました。
前述のスペイン村計画の為に土地が長らく使用されないまま放置されていました。
それが計画が撤回されて、徐々に手放されてきたのかマルナカ、ヤマダ電機といったチェーン店も進出してきました。
段々と景色が変わっていく故郷が嬉しくもあり、寂しくもあり。
今後はどのように変わっていくのでしょう。