2月3日-大岡越前の日 岡山で大岡越前と言えば?
2月3日-今日は何の日?
今日は大岡越前守忠相が南町奉行に就任した事に由来する、大岡越前の日です。
テレビドラマでも有名な大岡越前の本名は大岡忠相です。
南町奉行に就任したのが41歳で、これはかなり早い出世なのだそうです。
最終的に西大平藩の藩主にまで上り詰めており、町奉行から大名への出世を果たしたのは江戸時代を通して大岡忠相のみです。
徳川吉宗に重用され、享保の改革においては庶民生活に関わる都市政策に着手しています。
貧しい人でも治療を受けられた小石川養生所の設置、火事への対策として町火消の整備などを行っています。
また、犯罪者の親族も罪に問う連座制の廃止、耳そぎ刑、鼻そぎ刑の廃止など刑罰の軽減化も行っており、これらの事から庶民人気は非常に高かったと言われています。
大岡政談と呼ばれる胸のすくような名さばきの数々の多くは、実は大岡越前以外の人物が行った裁定だったり、フィクションの物も含まれていると考えられています。
こうした話しまでもが大岡忠相の実績と考えられて広められていったのは、その人気の高さゆえだったのでしょう。
岡山で大岡越前と言えば?
江戸の町奉行である大岡越前と岡山には余り縁がなさそうですが、実はある裁定の際に大岡越前が関与しています。
それは大槌島の領地争いの際の事です。
大槌島は岡山県と香川県の県境がある島です。
島の半分が玉野市、もう半分は高松市に属している為です。
かつて岡山(備前)と香川(讃岐)の間で島の領有権と漁業権を巡る諍いが起こりました。
島では両者の漁師が漁業を営んでおり、どちらも魚介類を幕府に献上していました。
位置で言えばやや香川寄りですが、岡山側では島に畑を作るなどしており、どちらの島とも言い難い状況でした。
最終的に幕府の審理で島を半分ずつにする事で決着をしましたが、この時の裁定に関わった評定所の中に大岡忠相の名前もあったのです。
さすが大岡越前、名裁きですね。
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