10月1日-印章の日 倉敷市長が公印を隠し、失踪した日

10月1日-印章の日 倉敷市長が公印を隠し、失踪した日
10月1日-今日は何の日?

今日は印章の日です。

制定したのはハンコの業界団体である全日本印章業組合連合会です。
1873(明治6)年に太政官布告で公式の書類には実印を押す事が定められました。

意外と新しい出来事なのですね。
ちなみに印章は=ハンコの事です。
私たちは通常、印鑑という言葉もハンコと同義に用いていますが、厳密には印鑑はハンコを押した際に紙へ残る名前などの方を挿して使う言葉なのだそうです。




倉敷市長が公印を隠し、失踪した日

岡山で印鑑と言えば、かつて倉敷市長が公印を隠して失踪する出来事がありました。

これは倉敷市長が県主導で進められていた県南百万都市建設計画を阻止する為でした。
三木県知事時代に進められていた計画で、岡山市と倉敷市を中心として、合計33の市町村が合併して人口百万人になる新市を目指していました。

これが実現すれば岡山県では中国地方で初の政令指定都市が実現するはずでした。

しかしこの計画は中心となる岡山市と倉敷市にとってメリットが少ないものでした。
この二市は既に財政面で豊かな状態で、合併によって生まれる大きな市になるより、現状のままで合併をしない方が良かったのです。

そこで倉敷市長は計画阻止の為になんと調印式の当日に公印を持ち出して失踪したのです。

そして岡山市、倉敷市、更に児島市(※現・倉敷市児島地域)が合併に反対の立場になりました。
児島市も反対に回ったのは、新市における立ち位置への懸念でした。
計画では新市は計画的に都市を作り上げていく事になっており、それぞれの地域へ目指す方向性が掲げられていました。
その中で児島市は観光都市を目指す事になっていましたが、児島市としては水島に近い立地を活かして関係企業や工場の誘致を進めたかったのです。

合併する自治体の中でも人口の多い三市が抜けてしまうと、県南の他の市町村が合併をする意義は余りありません。
こうして県南百万都市建設計画は頓挫してしまったのです。

リンク:なぜ実現しなかった?県南百万都市計画岡山の街角から

紹介

岡山県の地名の由来、郷土史を扱うWEBサイト・岡山の街角からを運営しています。 このブログでは今日は何の日?をお題に、岡山県の話題をご紹介しています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

*