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- 備中高松城
備中高松城観光情報 |
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跡
高松城(写真は公園として整備されている城址)
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岡山には松山城もあれば福山城もありますし、高松城だってあります。
どれも事実なんです♪
高松と言えば岡山県民にとって一番近しい県である香川県の高松市にある玉藻城こと『高松城』が思い浮かぶ方も多いのでしょうが、岡山市北区の高松にある高松城は、学校で誰しもが一度は勉強した歴史の舞台になったお城でもあるんですよ。
そもそもは三村家の家臣だった石川家が築城したとされています。
備中兵乱の際に三村家が敗北し、清水宗治さんが城主になる事になりました。
その後、この城は織田信長さんが毛利家を攻めようとした中国攻めの際に後の豊臣秀吉さん(当時は羽柴姓)によって落とされてしまいます。
その際に低湿地帯を利用して作られた城の立地と梅雨の時期だった事を利用して、城の周辺を堤防のように工事を施し、城は水没させられてしまったのです。
この奇抜な攻撃方法は、後に『高松城の水攻め』として知られる事になります。
さて、この城がどうして歴史で勉強する舞台になるのかというと、落城寸前に起こった織田信長さんの暗殺の為です。
織田信長さんが『本能寺の変』で命を落とした際、中国地方にいた秀吉さんは『中国の大返し』とも呼ばれた強行軍で引き返します。
この中国の大返しのスタート地点こそが、備中高松城でした。
異常事態を知ると、すぐに高松城の城主である清水宗治さんの切腹を条件に高松城での戦いを収束させ、わずか10日ほどで軍を率いて京都まで戻って明智光秀さんとの決戦に挑んだのです。
くしくも大きく歴史が動いた瞬間の舞台となったのが、この高松城なのです。
その後、城は新たな城主を迎えましたが、少しして廃城となったようです。
現在、公園となった城址には殆ど遺構は残されていませんが、配下の為に切腹をした清水宗治さんの首塚や、資料館などがあります。
また周辺deは水攻めの際に秀吉さんが作ったとされる堤防の跡が発掘されています。
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