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岡山藩時代に作られた防波堤

大多府島の元禄防波堤

大多府島の元禄防波堤

大多府島の元禄防波堤(写真は現在の防波堤)
建設:元禄11年
所在地:備前市・大多府島
駐車場:なし(日生漁港より、連絡船)
国指定:登録有形文化財

写真提供:岡山県
 備前市の日生港沖合いにある大多府島には『元禄防波堤』と呼ばれる、石垣で作られた防波堤があります。

 薩摩藩が欲しがった島
 この防波堤には興味深いエピソードがあるのです。
 参勤交代で江戸を目指していた薩摩の島津家が、急な嵐に遭った際に、退避して難を逃れたのが、この大多府島でした
 そこで島津家は同じく参勤交代で江戸城にいた池田綱政さんに対して、大多府島を譲渡して欲しいという旨を伝えます。
 島津家としては参勤交代の際に、同様の危険があった際の為の避難場所として確保したかったのでしょう。

 大多府島の開発
 綱政さんがこの話題に商売チャンスを感じたのか、それとも正義心に目覚めたのかは判りませんが、早速、備前にいる津田永忠さんへ連絡を取ります。
 津田永忠さんといえば、池田家が暑い信望を寄せる人物で、岡山藩の初期の重要な土木工事を多く手がけてきた人物です。
 勿論、出されたのは大多府島の開発に関する指示です。

 元禄防波堤はこの時に作られたもので、後には灯籠堂を整備するなどして、港としての体裁を整えていき、各藩の寄港地として大いに賑わうに至ったそうです。
 明治時代以前の防波堤が現存し、なおかつ現役で活用されているケースは非常に珍しいそうで、防波堤としては初めて国の登録有形文化財へ指定されました。

 石を二段に組んだ構造に、優美な三次元曲面…。
 同じく津田永忠さんが手がけた、閑谷学校の石塀と非常に似た姿をしています。

灯籠堂

 島内にあるこの灯籠堂も大多府島に港を築いた際に作られた設備の一つです。
 しかし明治時代に撤去されていたものを、昭和61年に復元した、比較的新しい建造物なのですが、寄港地として賑わっていたかつての大多府島の様子を現在に伝えてくれる、貴重な存在です。
 

 
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