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三蟠鉄道
三蟠鉄道
■ 無くなった理由
廃業
■ 期間
1915年~1931年まで
三蟠鉄道
岡山市にかつて三蟠鉄道という軽便鉄道が走っていました。
三蟠鉄道の起源は三蟠港の歴史とも関係しています。
岡山市の京橋から船で旭川を航行してきた人々が、三蟠港で船を乗り換えて高松まで行くのが、かつての岡山県と香川県の往来の定番でした。
しかし1910年に玉野市に宇野線と宇野港が開港した事で、三蟠港から四国への玄関口としての役割は失われてしまいました。
そこで三蟠港の賑わいを取り戻す為に作られたのが三蟠鉄道です。
歴史
路線は当初は三蟠港~桜橋間で開業しました。
後に延長され、最終的に国清寺駅までの総延長7.95kmになりました。
しかし自動車の台頭もあり、三蟠港の需要は低下し続けました。
水族館を作るなどして新たな集客を試みるも経営は改善しませんでした。
後に県道を作る際の用地に線路の土地も含まれていた事から譲渡に応じ、路線は廃止されました。
僅か16年という短い歴史でした。
遺構はあまり多く残されていませんが、現在でも三蟠駅の建物が店舗兼資料館として転用されています。(※上の写真の店舗です)
その裏側にはかつての線路の起点跡が復元されています。