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中国稲荷山鋼索鉄道(ケーブルカー)
中国稲荷山鋼索鉄道 概要
無くなった理由:廃業(金属類回収令の為)
所在地:岡山市北区高松稲荷(最上稲荷境内)
営業期間:1925年~1944年
(※路線の営業期間は1929年~1944年)
運営会社:中鉄バス
建物:撤去(一部遺構あり)
中国地方初・ケーブルカー
岡山市北区の最上稲荷の境内にかつてケーブルカーが運行していました。
中国稲荷山鋼索鉄道という会社で、中國鐡道(現在の中鉄バス)の子会社です。
稲荷山ケーブルカーという社名だった時期もあります。
路線は中国鉄道稲荷山線のみです。
現在の旧本殿が置かれている辺りから、最上稲荷の奥の院付近へと向かう路線でした。
駅も2つのみで、旧本殿のある場所に山下駅、奥の院から少し手前で現在はラジオ塔が残されている辺りへ奥ノ院駅がそれぞれ設置されていました。
距離は0.4km、4分ほどで行き来できる短い路線です。
【山下駅跡周辺】
これが中国地方初のケーブルカーでした。
廃線
1944年に路線は廃止になります。
これは利益などの経営面の問題ではなく、戦争の激化の為です。
兵器を作る為に金属を確保する目的で、日本各地の鉄道路線で軍事上の重要性などが低い路線は休止させられ、路線の金属類が供出させられました。
中国稲荷山鋼索鉄道の廃止もこの為です。
戦後に営業再開へ向けた動きもありましたが実現しませんでした。
現在、奥の院へは徒歩で行ける他、車道も整備されています。
路線跡
ケーブルカーが運行していた事を思わせる遺構はほとんど残されていません。
線路跡の一部は徒歩で奥の院へ向かう為の石段として整備されています。
奥ノ院駅の奥をよく見てみると茂みの中にホーム跡の遺構らしき物が見つけられます。(※2021年訪問時、周辺は立入禁止でした。写真はそれ以前に撮影したものです)
奥ノ院駅跡にはこの遺構の他にラジオ塔が残されています。(上の写真参照)
これはラジオの普及の為に街角へ設置されていたものです。
周辺に駅があったことを僅かに伝える遺構です。
山下駅があった場所にはかつての本殿の建物が移築され、遺構らしきものは失われています。