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竹久夢二の生家

画家・竹久夢二

詳細

竹久夢二(写真は瀬戸内市にある生家)
生年:1884年~1934年
職業:画家
ゆかり:生誕地、生家
スポット:生家、美術館、少年山荘(復元したもの)

関連リンク竹久夢二郷土美術館 公式HP

竹久夢二と岡山

 竹久夢二こと竹久茂次郎は瀬戸内市、当時の邑久郡本庄村に生まれました。
 酒造業を営む家に生まれた彼は、16歳まで岡山で過ごしています。(注:内、数ヶ月の間は神戸で中学校へ通った時期もあります)
 その後は家業をたたんだ父親と共に九州の八幡製鉄所で働いていたものの、家を飛び出して上京、後はよく知られている通り、画家として様々な恋を体験しながら多くの作品を残していきました。

 瀬戸内市には竹久家が住んでいた家がそのまま保存され、公開されているので、多くのファンが訪れています。

少年山荘

少年山荘
 生家には大好きな姉が結婚する際に刻まれた落書きなどが残されている他、すぐ近くには竹久夢二さん自身が設計してアトリエ兼自宅として使用していた建物、『少年山荘』も復元されています。
 また岡山市には夢二郷土美術館が作られ、岡山カルチャーゾーン(美術館や博物館の密集したエリア)の一角として人気を集めています。
 夢二の生家は、夢二郷土美術館の別館という扱いになっています。

施設などについて

 余談ですが、竹久夢二の生家は頭上注意です。
 昔ながらの建物なので当然なのかもしれませんが、非常に天井が低いので背が高い男性の方は気をつけないと激しくぶつけてしまう可能性があります。
 家の中では作品やゆかりの品の展示がされているので、ついつい作品に気を取られてしまいがちなので、ご注意下さい。

茂次郎橋 由来
 現在は公園になっている部分と生家へ向かう溝に架かる『茂次郎橋』には茂次郎橋由来として、『花のお江戸ぢゃ夢二と呼ばれ 郷土へかへれば へのへの茂次郎』という看板が作られ、『夢二つくる 芳水しるす』と、名前が記されています。有本芳水さんは竹久夢二さんと仕事を通じて知り合い、友人だった方です)

マップ




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関連リンク


写真:竹久夢二生家跡、復元された少年山荘
写真撮影:岡山の街角から

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