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蘭学者・宇田川榕菴
詳細
宇田川榕菴(写真は城西浪漫館)
生没年:1798年~1846年
職業:医者、蘭学者
ゆかり:出身地、コーヒー
スポット:城西浪漫館、津山洋学資料館
関連HP:城西浪漫館
宇田川榕菴とコーヒー
宇田川榕菴は1798年に大垣藩(現在の岐阜県大垣市周辺)に生まれました。
後に父が師事していた津山藩医の宇田川玄真の養子になり、医学や蘭学に学び、後に自身も津山藩の藩医となりました。
宇田川家は学者の家系で、幕府からの用命で海外の著作の翻訳していました。
自身でも西洋の学問を日本に取り入れるための著書を出したり、日本には存在しない海外の言葉を表現するために言葉を作ったり、漢字を当てはめるなどの作業に従事しています。
実はこコーヒーに『珈琲』という漢字を当てはめたのも、宇田川榕菴の仕事です。
この漢字は『「珈」は女性の髪を飾る玉飾り、「琲」は玉飾りの紐の意味で、コーヒーの木に真っ赤なコーヒーチェリーが実っている様子を描写した』(城西浪漫館HPより引用)のだそうです。
津山市の城西浪漫館では、宇田川榕菴さんが出会ったであろう幕末期の珈琲の味が再現されており、榕菴珈琲という名称で販売されています
珈琲には相当なこだわりがあったようで、『哥非乙説』という専門書もあります。