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玉音放送後の特攻・宇垣 纏
詳細
宇垣 纏
生没年:1890年~1945年
職業:軍人(海軍中将)
ゆかり:生誕地
スポット:慰霊碑
玉音放送後の特攻
1945年8月15日正午、日本の降伏、そして終戦を伝える玉音放送が流れました。
日本ではこの日を終戦の日としています。
しかし玉音放送の後に特攻が行われたのをご存知でしょうか。
岡山市東区(当時は潟瀬村)出身の海軍中将・宇垣 纏を始めとする23人が出撃、宇垣を含む18名が死亡しました。
この特攻には玉音放送後の特攻で後々の影響を懸念して止める声もありましたが、「武人としての死に場所を与えてくれ」という宇垣の強い意志で実行されました。
この特攻によるアメリカ軍側の被害は無く、沖縄沖の海に墜落したものと考えられています。
菊水慰霊碑
宇垣の出身地である岡山市には宇垣 纏と、特攻で亡くなった17人の慰霊碑が建てられています。
岡山県護国神社へ向かう道沿いに整備されている海軍平和神苑の中に菊水慰霊碑と名付けられた石碑があります。
写真の左側が宇垣 纏ら玉音放送後に特攻に出た18人の慰霊碑です。最初のものは1972年に作られましたが、老朽化の為に新調されました。
菊水というのは宇垣が指揮した特攻の作戦名です。
記事の冒頭に大きな写真を掲載しているので、そちらも御覧下さい。
宇垣 纏の特攻は玉音放送後の特攻であること、そして部下を連れての出撃だったことなどで様々な議論があります。
当時の海軍には戦死した中将の内で一定の条件を満たした人物を大将とする内規がありましたが、そうした事情から本来は該当する宇垣は中将のままとされました。