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石井十次の妻・内野品子の墓
詳細
内野品子
生没年:?~1895年
職業:慈善事業家
ゆかり:夫である石井十次と供に孤児救済に努めた
スポット:墓
内野品子とは
岡山県で救済事業に大きな功績を残した岡山の四聖人の一人、石井十次。
彼はその生涯で2度の結婚をしています。その最初の妻が今回紹介する内野品子です。(※内埜の表記も)
内田品子について調べるために、石井十次を扱った本や人名辞典などを調べましたが言及は非常に限られたものでした。
生年も分からずですが、亡くなったのは31歳です。
これが享年なのか満年齢なのか分かりませんが、1865年生まれの石井十次とは幼馴染の関係なので、生年も同じか殆ど変わらなかったのでしょう。
石井十次との結婚は1881年です。
十次は品子と結婚した頃には教職や巡査の職に就いていたようで、宮崎から岡山へ居を移して医師を志すようになるのは結婚後のことです。
そして岡山医学校で学んでいた1887年。医師としての研修と転地療養を兼ねて訪れていた岡山市東区上阿知で、貧困に喘ぐ未亡人から一人の子を預かりました。
これをきっかけに同年の内に岡山市の三友寺で孤児教育会を開設、これが発展して岡山孤児院になりました。
その中で石井十次は医学の道を諦め、生涯を児童福祉に捧げる事を誓います。
次々と人生の方向性を変えながらようやく天命に辿り着いた石井十次を、妻として支え続けた内田品子も充分に偉人と呼ばれるべき人物ではないでしょうか。
しかし前述の通り1895年に早世、石井十次は同年に院で看護師をしていた吉田辰子と再婚しました。
内田品子の墓
岡山市の墓は岡山市の圓常寺の墓地の片隅にあります。
場所はかつての孤児院のすぐ裏に位置し、すぐ隣には孤児院で亡くなった孤児の為の墓も置かれています。
周囲は様々な福祉団体からの寄付による玉垣によって囲まれています。
こちらは新たに設けられた記念碑ですが、楽しそうに孤児たちと過ごす内野品子のイラストが描かれています。
後に孤児院は移転しますが、院があった頃には石井十次や孤児院はこの山をよく登っていたそうです。
私は年表だけで最初の妻が亡くなったのと同じ年に院で働いていた女性と結婚した事に冷たさのような物を感じていました。
しかし実際に墓を訪れてみて、足繁く通える場所に作られた墓からは逆に石井十次の苦しい日々をともにした妻への深い愛情を感じました。