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ビール王・馬越恭平

詳細

馬越恭平(写真は生家)
生没年:1844年〜1933年
職業:実業家
ゆかり:出身地
スポット:生家

馬越恭平とは

 家に帰ったら、まずビールで一杯…という人も世の中にはおられるようですね。
 実は岡山県はビール王と呼ばれた実業家・馬越恭平を排出しています。

 馬越恭平は、1844年に岡山県、現在の井原市木之子町に生まれました。
 家は代々医師の家系だったそうです。
 12歳で大阪へ丁稚に出て、その後、三井物産の社員として手腕を発揮しました。

 ビール王と呼ばれるようになったきっかけは、三井物産が株を保有していた日本麦酒が経営危機に陥った際に、再建のために馬越さんが派遣された事がきっかけです。

 非常に商才に長けた方で、89歳で亡くなるまで現役で活躍し続け、ビール以外にも鉄道関係の仕事や、政治家としても活躍。
 生涯に役員として関わった会社は100を超えるそうです。

ビール王と呼ばれるまで

 当初は株を保有していた会社へ派遣される形でビールの会社へ携わっていましたが、後に日本麦酒の経営に専念するために三井物産を退職しています。
 ビアホールという和製英語を作るなど、様々な手法でビールの普及に努めました。

 また大型の合併を取りまとめることで【大日本麦酒】を設立、なんとビール業界において約7割のシェアを持つ会社になりました。
 このような事から、馬越強兵さんはビール王と呼ばれるに至ったのです。
※大日本麦酒社は過度のシェアを持ちすぎる事を理由に、戦後に2つに分割され、現在のアサヒとサッポロになりました。

井原市と馬越恭平

 井原市には馬越恭平が生まれ育った生家が残されており、立派な門が代々医師だったという家柄を伺わせます。
 母屋があった場所は、現在は公民館になっていますが、馬越恭平さんについてを知ることができる資料館も併設されています。
 
 若くして岡山を離れた馬越さんですが、郷土への愛情は人一倍強かったそうで、多額の寄付が行われており、現在では架け替えられこそしたものの、金銭的な援助をしたと言われる『馬越橋(うまこしはし)』の名称が残されています。

 生家から近い所にある三光寺という寺院にお墓があり、夫婦で入られています。

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写真:生家跡(木之子公民館)
写真提供:Googleマップ

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