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岡山市北区足守・安富才助の墓
詳細
安富才助
生没年:1839年~1873年
職業:新選組隊士
ゆかり:出身地、墓地
スポット:田上寺
安富才助とは
現在でも高い人気を誇る新選組。
岡山県出身のメンバーは意外と多く、20名以上いたそうです。
その中でも最も有名なのは備中足守藩(岡山市北区足守)出身の安富才助ではないでしょうか。
1864年に新選組に入隊すると、勘定方や馬術師範を務めました。
陸軍奉行並みとなった土方歳三の側近として従い、その最期をみとった事がよく知られています。
土方家に死を伝える手紙を書いており、その中にある「早き瀬に 力足らぬか 下り鮎」という追悼の句も有名です。
この句は書き方のニュアンスから、実は土方歳三が書いた辞世の句だったのではないかとも考えられています。
岡山に残る安富才助の墓
2008年に出身地の岡山市北区足守の田上寺の墓地で安富才助のものと考えられる墓が見つかりました。
それが冒頭の写真で、写真の左側の墓がそれです。
田上寺の墓地の最も奥の辺り、足を踏み入れるのも大変なほど多くの墓石が置かれている場所にひっそりとあります。
恐らく他のサイトや媒体の写真を見ても、安富才助の墓石はおおむねこの角度で撮影されていると思います。
これは他の墓石があるので、これ以上正面からは撮影できない為です。
恐らく他のサイトや媒体の写真を見ても、安富才助の墓石はおおむねこの角度で撮影されていると思います。
これは他の墓石があるので、これ以上正面からは撮影できない為です。
お墓の側面に『安富才助夫婦之墓』という文字が刻まれています。
安富才助は妻と死別しており、その翌年に新選組へ参加しました。
この墓には没年が1783年とされており、これにより1870年に放免された後に阿部十三に殺害されたという従来の説が否定されました。
この墓には没年が1783年とされており、これにより1870年に放免された後に阿部十三に殺害されたという従来の説が否定されました。