『歴史家・小早川秀雄』
解説
関ヶ原の戦いの日に岡山藩主になった小早川秀秋は跡継ぎがいないまま早世した為、小早川家は無嗣断絶で改易されました。
…と、ここまでは有名なお話です。
実は後の時代に小早川家を再興させようと奮闘した人がいます。
それが小早川秀雄です。
1802年に足守藩士の次男として生まれ、名前は秀秋を意識して名乗っていたものです。
藩主・木下家の親族にあたる小早川家の再興を目指し、小早川家の宗家である毛利家に掛け合うなどの活動を行いました。
しかし木下家は幕府の反発を恐れて、その活動を阻止しました。
その後は歴史研究家となり、何冊かの著作を残しています。
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