TOPコラムコラム・岡山の事件簿>8.福浦地区の越境合併騒動


『福浦地区の越境合併騒動』

岡山県から兵庫県へ


 1963年、日生町(現・備前市)の福浦地区の一部が隣の兵庫県赤穂市へ編入するという、世にも珍しい越県合併が行われしたま。

 福浦地区は古くから岡山藩に属した地域です。
 しかし岡山と兵庫の県境沿いにあり、経済的な結びつきでは、兵庫県との関係の方が強かったのです。
 そこで住民たちは、嘆願書を出して兵庫県赤穂市へと県境を越えた合併を申し出ました

 県境を越えての合併の事例は決して多くはありません。
 元々属していた自治体としては自らの区域の一部を失う事になるので面白くないですし、受け入れる側も相手側の感情に配慮する面もあります。
 その為になかなか実現に至らないのです。

 福浦地区の際にもやはり大騒動になりました。
 

合併に至るまで


 しかし福浦地区と赤穂市の合併で問題になったのは、単純に岡山県側の地域が兵庫県へ移るという感情的な部分だけではありません。
 それに伴って漁業権の一部まで兵庫県へ移ってしまうので、地元の漁師にとっては経済的な問題も含んでいました。

 その為、兵庫県への合併について賛成、反対に分かれた大騒動になりました。

 暴力事件が発生するなどした為、自治大臣が間に入る事になりました。
 そして福浦地区の赤穂市との合併を容認するものの、福浦地区の漁業権は岡山県側に残すという折衷案でようやく決着しました。

 なので現在の県境を見てみると、海の側でまるで岡山県が食い込んでいるかのような歪な形になっています。

 福浦地区にはかつて岡山に属した名残である『備前福河駅』がある他、兵庫県ではこの地域のみ電気の供給が関西電力ではなく、中国地方の電力会社である中国電力の管轄になっています。

騒動の影響


 長期間に亘った騒動の末に兵庫県と合併した福浦地区ですが、この出来事の影響を受けて、第二の越県合併の動きが県内で起こりました。
 笠岡市の旧茂平村地区が、隣接する福山市との合併を希望したのです。

 茂平地区も福浦地区と同様に県境に位置し、隣接する広島県の福山市と様々な面での結びつきが強い状態にありました。
 福浦が兵庫へ移ったので、自分たちも福山市と…と、考えたのです。

 福山市の側への根回しも順調で、後は岡山県を納得させるだけというところにまで話は進んでいました。

 福浦の越県合併の際から、同様の動きが続いて、県の区域が次々に他県に奪われる事を懸念していた岡山県にとっては、これ以上は認める事が出来ないと、強固な反対の動きをとります。

 この合併の騒動を収めたのは、意外な人物でした。

 合併騒動の最中に県知事に就任した加藤武徳です。
 笠岡市出身で参議院議員を務めるなどした、笠岡市の名士です。
 その顔を立てて、合併の騒動は収まりました。


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画像
『現在の県境付近』





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