TOPコラムコラム・岡山の事件簿>15.苫田ダム反対運動

『苫田ダム反対運動』

苫田ダムとは

 2005年、鏡野町の苫田ダムが完成し、運用が開始されました。
 本来なら記念すべき出来事ですが、ここに至るまでの経緯を知る人は、若干の後味の悪さと苦々しさを感じていたのではないでしょうか。

 苫田ダムは吉井川の洪水、そして渇水の両面をカバーするためのダムです。
 高さ74m、長さは225m、貯水量は8,410万m3という非常に大規模なダムで、県内では3番目の大きさを誇ります。

 生活、工場、農業の水を司るのに加え、水力発電も行う他、ダムがなければ多大な被害をもたらしたであろう渇水時にも、取水制限を回避するなど、そのスペックだけを見れば、苫田ダムは十二分に役割を果たしていると言えるでしょう。

 しかし、その歴史は平坦なものではありませんでした。

反対運動

 苫田ダムは計画段階で激しい反対運動が行われていた事で知られています。
 ダムの建設により、水中に沈んでしまった地域は旧奥津町(現・鏡野町)ですが、そもそも奥津町は、ダムに反対の三村(苫田、奥津、羽出)が合併して誕生した町です。

 反対運動は38年もの長期に及びました。
 その間、対話を進めて住民の理解を得た上での着工とされていますが、反対を譲らない町に対して、県は補助金や起債の手続きを故意に遅らせる等、いわゆる【圧迫行政】を行ったと言われています。

 1990年にダムの受け入れを表明しますが、その直前となる1986年~1989年の間で、3名の町長が任期途中で交代しています
 ダムに賛成する町長が出ない限り、奥津町は圧迫され続けたのです。

 一方では住民に対し、移住までの資金として多額の現金を支払う事でダムに賛成するように根回しをし、やがて奥津町は追い込まれた末に、計画を受入れざるを得なくなったのです。

 当時の県知事は、地方自治の神様とまで評された長野士郎さんでした。
 よくも悪くも、やり方を良く心得ていたのです。

ダム完成

 ダムは1999年に着工され、2005年に完成しました。
 奥津町の中心部は旧町役場も含めて水没してしまいました。

 長いダムとの戦いに翻弄され続けてきた奥津町は、くしくもダムの完成と同じ2005年3月に周辺町村と合併し、その歴史に幕を下ろす事になりました。

 ダムは有用なものかもしれませんが、奥津町の人々の気持ちを考えると、手放しで喜んでばかりもいられない…そんな気持ちになるのです。


<<前のページへ  TOPへ戻る  次のページへ>>

関連リンク


画像:上空から見た苫田ダム
写真:Googleマップ


 -戻る-



ページトップに戻る