『鳥取県への編入騒動』
勃発、鳥取県への越県合併騒動
1947年に岡山県の一部の3村が鳥取県への越県合併を表明したことがあります。
3村は全て現・真庭市の旧川上村、八束村、中和村です。
これらの村が鳥取県への編入を希望したのは、まず一つは立地的に鳥取県との交流の方が盛んだった事が挙げられます。
記録上でも結婚などによる親族間の付き合いも強かった事が確認できます。
しかしこれは騒動が起こる最たる理由ではありません。
当時は戦後間もない時期で、庶民の生活は配給に頼っていました。
その配給で岡山県が南部の市町村を厚遇し、北部に充分な配給が行われなかった事がこの騒動の大きな原因だったようです。
鳥取県側では受け入れを許可しており、後は岡山県次第という状況になっていましました。
しかし岡山県がきちんと対応したので、3村は了承して編入騒動は収束しました。
北薄南厚
この騒動に限らず、岡山県は北薄南厚の傾向があると言われています。
南部が瀬戸内海に面して交通の便が良い影響もあるのでしょうが、水島臨海工業地帯などのような大規模な事業は南部に集中しています。
美作市で作家活動をしているあさのあつこさんは、2012年の県知事選のインタビューで、県北部の図書館の問題について下記のように話しています。
全国一の個人貸し出し冊数を誇る県立図書館は岡山市北区にあります。オンラインでつながり、県北でもこの図書館の本は借りられますが、本がいっぱいあって、どれを読もうかとドキドキできる空間を、県北の子どもたちにも与えてあげたい。同じ県で育つ子どもたちなのだから。
(中略)
それが教育問題の解決、“南北問題”の解決につながると信じています。
(2012年10月24日 読売新聞より引用)
戦後には既に問題視されていた南北問題。
早くこういう声を聞かなくなる県政を実現してほしいですね。
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画像:『鳥取県』
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