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地名の由来:天瀬
地名の由来
岡山市北区天瀬は、かつては東は旭川、西側と南側を岡山城の外堀に面した水辺の地区でした。
そうしたかつての地形から、尼の死体が流れ着いた事や男女が川を渡って逢引をしていた…など複数の由来が知られています。
有力説は「余し」が転じたとういう説です。
宇喜多秀家の書状に「あまし」という地名が出てきており、これが天瀬の旧称ではないかと考えられています。
三の郭を町人町に分けた際に余った土地であることから余しと呼ばれていたのが、文字が転じて天瀬となったとする説です。
旧岡山市民病院
天瀬には1936年から2015年まで岡山市立市民病院がありました。
1929年に設置された天瀬診療所を発展させる形で置かれ、戦災で焼失するも再建されて天瀬の地で長らく医療活動を続けていました。なので今でも天瀬=市民病院の印象が強い人もおられるでしょう。
2015年に北長瀬の岡山操車場跡地へ移転しました。